週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

第18回 「センバツで魅せた東北のスター」選手名鑑

「Weekly野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第17回のテーマは「センバツで魅せた東北のスター」選手名鑑です。

★   ★   ★

 3月22日に開幕した第85回記念選抜高校野球。今大会の特徴としては、出場校が例年より4校多い36校であること、また東北から5校の代表が選ばれたことが挙げられます。ご存知の通り、東北にはこれまで春84回、夏94回、計178回大会を通じて優勝がありません。しかし近年は確実にレベルが上がり、あと一歩と感じている人も多いのではないでしょうか。今回の出場校の拡大はその歴史が変わる大きなチャンスだと感じずにはいられません。  今回はそんな転換期を迎えている東北の野球を応援する意味を込めて、これまで注目を浴びてきた東北のスター選手で名鑑をつくります。

ダルビッシュ有(宮城・東北/投手/2003、04年)

 ダルビッシュは2年春、3年春と2回のセンバツを経験している。夏も2回甲子園の土を踏んでいるので、活躍を混同しやすいが、決勝進出が2年夏で、ノーヒットノーランが3年春だ。
 2年春は、初戦(2回戦)で完投勝利を挙げたが、3回戦で打ち込まれ5-0からの逆転負け。3年春は初戦(1回戦)で熊本工をノーヒットノーラン。2回戦の大阪桐蔭戦は同級生の真壁賢守がリリーフして勝利。準々決勝の済美戦は真壁が先発し登板はなかった。済美との試合で投げなかった理由は、前年秋の神宮大会で見せた同校との相性の悪さや、次戦以降を見越した判断があったと言われている。いずれにしても才能の片鱗は見せつつも、当時のダルビッシュは絶対的なエースではなかった。ただ、高校卒業後に築き上げたキャリアは、高校時代に真壁と登板機会をシェアできたという幸運なしには実現しなかったかもしれない。3年間で4度も甲子園に出場したチームのエースは、通常もう少し酷使されているものだろう。

[ダルビッシュ・チャート解説]


力勝負して打ち込まれるシーンもあり、甲子園で上位進出する上で不可欠な安定感はなかった(3年夏には完成度は上がっていた)。ただ、大舞台でノーヒットノーランを決めるなど、溢れる才能を感じさせる試合も。活躍度は4、タレントは5。ダルビッシュは大阪出身なので、東北感は3。ただ、「東北の野球選手」の固定概念を変えた存在とも言える。

チャートはセンバツで残した成績「活躍度」、結果とは直結しないが見る者に感じさせた才能「タレント」、東北との縁がどれだけあるか「東北感」を5段階評価したもの(以下同)。

大越基(宮城・仙台育英/投手/1989年)

 東北の強豪として、早い段階から他県と渡り合ってきた高校の1つである仙台育英。大越はその躍進を支え3年春に8強、夏に準優勝をもたらした。ダルビッシュと対照的に大越は1人で投げ続け、野手を含めチームメイトにはプロに進んだ選手はなしという突出した存在だった。
 センバツ初戦(1回戦)は小松島西(徳島)から13三振を奪い2失点完投。2回戦は尼崎北(兵庫)から12三振を奪い1失点完投。8強入りを決め、次にぶつかっ激突したのが元木大介(後に巨人へ)、種田仁(後に中日へ)らを擁する優勝候補・上宮。大越は闘志むき出しのピッチングを見せ、打順も投手ながら1番に入るなど奮闘したが、元木の一発を含む10安打。ここまで取獲りまくってきた三振もわずかに3に終わり、2-5で敗れた。
 ただ、この借りを大越は夏にしっかりと返した。やはり準々決勝で迎えた上宮戦で9安打は喫したが失点を2に抑え完投。打線が18安打する爆発もあり10-2で勝っている。勢いに乗り準決勝では尽誠学園(香川)との延長戦を制し、決勝に進出。決勝では吉岡雄二(後に近鉄ほか)擁する帝京にやはり延長の末0-2で敗れたが、この試合は東北に優勝旗が最も近づいた瞬間だった。

[大越基・チャート解説]

 センバツでは8強止まりだったが、今ほど東北勢の力が認められていない時代に主に関西の有力校と渡り合い、粘り勝つ姿は印象的だった。北国=不利という概念観念を覆す最初の第一歩。活躍度は4。速球で三振を奪っていくピッチングと、大舞台にも動じない姿には将来性も。タレントも4。出身は宮城県県七ヶ浜町、中学時代は青森で過ごした。純然たる東北のヒーロー。東北感は5。

菊池雄星(岩手・花巻東/投手/2009年)

 菊池は2009年(3年春)のセンバツで岩手県勢を初の甲子園決勝に導いた。このセンバツ出場は僅差で勝ち取ったもの。前年の秋季東北大会は準決勝で光星学院(青森)に3-6で敗退。しかし別ブロックから決勝に進んだ一関学院が光星学院に1-7で敗れたため、花巻東としては初のセンバツ出場が決まった。  甲子園ではそういった経緯など全く感じさせない生きの良さを見せ。菊池は初戦(1回戦の)鵡川(北海道)戦、2回戦の明豊(大分)戦を連続完封。2試合で24個の三振を奪う。準々決勝ではリリーフに回り2点を追う6回から登板し4イニングを零封。チームは4点を加え逆転勝ち。準決勝では同じ東北の利府(宮城)に先制2ランを浴びたが、立ち直って5安打完投。攻撃では相手のミスを突き、2試合連続で逆転勝利を挙げた。迎えた決勝はこちらも県勢として甲子園初優勝を狙った長崎の清峰(長崎)との対戦に。菊池はこの日も安定した投球を見せ9回を7安打1失点で投げきったが、打線が今村猛(後に広島入り)の前に得点をが奪えず完封負けした。
 同年夏の選手権にも花巻東は出場したが、菊池のコンディションは激変。多くの場面で他の投手にマウンドを譲った。秋のドラフトで指名された菊池は西武に入団したが、センバツ時を超えるピッチングを見せられない状況が長く続いている。


[菊池遊星・チャート解説]

 センバツで自身最高のパフォーマンスを発揮。活躍度は5。結果を出す安定感とともにメジャーのスカウトも動き出すポテンシャルも感じさせた。タレントも5。生まれは岩手県盛岡市。垢抜けない素朴な雰囲気も話題に。なお花巻東はほぼ地元の中学生子供を集めたチームだった。東北感も5。

その他「センバツで魅せた東北のスター」

太田幸司(青森・三沢/投手/1969年)
 青森県三沢市出身。同年夏の選手権決勝での熱投が印象深いが、センバツにも出場。太田は1回戦の小倉(福岡)戦に登板し9回2失点で勝利。2回戦の浪商(大阪)戦では延長15回を投げ、負け投手に。「東北のスター」の元祖は、延長の練習を春に済ませていた。

高山郁夫(秋田・秋田商/投手/1980年)
 秋田県大館市出身。3年生の春に準々決勝に進出し、後にヤクルトのエースとなる伊東昭光擁する帝京と対戦。9回を5安打2失点に抑えたが敗れた。この試合で右足の親指にケガを負い、迷った末に故・根本睦夫氏のアドバイスで手術を決断。同年夏の選手権では149km/hを記録し注目を浴びる。卒業後はドラフトでの日本ハムの指名を断りプリンスホテルへ。西武の練習生を経て84年に西武入り。引退後、一時は会社員なども務めたが、現在はソフトバンクの一軍投手コーチ。

金野正志(岩手・大船渡/投手/1984年)
 岩手県大船渡市出身。高知の強豪・明徳(現明徳義塾)を倒すなどして県立校ながら甲子園4強入りを成し遂げた“大船渡旋風”の立役者とった左腕。テンポと制球力の良さで打者を手玉に。準決勝ではこの年の優勝校・岩倉(東京)を9回途中まで0点に抑えた。しかしサヨナラ弾を浴び膝から崩れ落ち、名シーンとなった。卒業後は明大へ。なお捕手を務めた吉田亨は大船渡で監督を務める。震災にも屈することなく、この年以来の甲子園を目指している。

佐々木主浩(宮城・東北/投手/1985年)
 3年春に8強進出。初戦の堅田(滋賀)を3安打完封。2回戦では明野(三重)に11安打を浴びたが2失点で完投し勝利。この2試合はいずれも無四死球だった。準々決勝は池田(徳島)に1-0で敗戦。この試合も完投している。夏も準々決勝まで進んだが、創部3年目ながら躍進し話題になった甲西(滋賀)に14安打を浴び、サヨナラで敗れた。

中川申也(秋田・秋田経法大付/投手/1990年)
 秋田県横手市出身。1989年夏の甲子園選手権で1年生エースとしてチームを4強に導きアイドルに。翌90年の2年春に生となりセンバツに出場。鹿児島実の主砲・内之倉隆志史(後にダイエー)に本塁打を浴びるなどして5失点。1回戦で敗退した。同年夏も甲子園の土を踏んだが、3年生では春夏ともに出場できず。卒業後は阪神から指名を受けたが1軍登板のチャンスを得られないまま引退。

長谷川勇也(山形・酒田南/外野手/2001年)
 山形県鶴岡市出身。2年夏から〜3年夏まで3季連続で甲子園出場を果たし、県内の勢力図を書き換えた。しかしすべて1回戦敗退と甲子園では振るわず。卒業後は専修大を経てソフトバンク入り。山形出身のプロ野球選手は少ないが、その中ではトップクラスのキャリアを築きつつある。

片山マウリシオ(山形・羽黒/投手/2005年)
 ブラジル出身。交換留学生として来日し3年春のセンバツに出場。準々決勝では後に中日入りする東邦の木下達生に投げ勝ち、山形県勢初の4強入り。準決勝では、現在西武で活躍する神村学園の野上亮磨と投げ合い、惜しくも敗れた。卒業後は東北福祉大に進んだ。その後は仙台のリトルシニア(中学硬式)リーグのチームで指導も。

佐藤由規(宮城・仙台育英/投手/2007年)
 宮城県仙台市出身。3年春でのに甲子園出場を果たすが、初戦でこの大会で優勝した常葉菊川と対戦。14三振を奪い9回を2点に抑えたが、田中健二朗(後に横浜、現DeNA)、戸狩聡希(後にヤマハ)のリレーの前に打線がい抑え込まれ敗れた。

大谷翔平(岩手・花巻東/投手/2012年)
 岩手県奥州市(水沢市)出身。2年夏に初の甲子園の土を踏み、3年春は光星学院(青森)の神宮大会優勝で得た神宮枠で出場。初戦で藤浪晋太郎(後に阪神)がにいる大阪桐蔭と当たったが、先発した大谷が9四球と崩れ、2-9で敗れ1回戦敗退。しかし、この大会の優勝投手とになった藤浪から先制弾を放ち、打撃での非凡な才能を見せつけた。


★   ★   ★

 今回はセンバツでの活躍度も去ることながら、地元出身であることにもこだわってピックアップしてみました。選手を選んでいて感じたのは、歴史的にセンバツの出場枠は東北に少なく、名選手であってもセンバツに出場していないケースが多いこと。またよく言われますが、出場したとしても、冬場の練習の制限もあってか、センバツでの上位進出はままならないということでした。  ただ、だからこそ東北勢が躍進したときの印象は鮮烈なのかもしれません。先日、ある取材で岩手の大船渡市を訪れたところ、大船渡高校の帽子を被っている中年の男性に会いました。話を聞けば、やはりファンだそうで、当時の活躍をまるで最近この間の出来事かのように話してくれました。野球に限りませんが、大きな目標を追いかけているときが、応援する側は一番夢中になれるのなのかもしれません。そういう楽しみが、東北の野球ファンにはあるのではないでしょうか。  2000年代に入った頃から、東北の野球は明らかにレベルアップしたように映ります。地域の垣根を超えた指導者の赴任、いわゆる野球留学の増加、それに刺激を受けた地元の球児の技術向上。これらが相互に影響し地域の野球を活性化しているのでしょう。北海道と沖縄に優勝旗が渡った今、東北にもいつ吉報が届いてもおかしくないはず。今年こそ、東北に歓喜の瞬間を!

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方