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来るべき清宮時代を前に、「スターが時代を作ってきた日本(ハム)史」をお勉強!

来るべき清宮時代を前に、「スターが時代を作ってきた日本(ハム)史」をお勉強!

 11月26日のファンフェスティバル2017で、背番号「21」のユニフォーム姿がお披露目した清宮幸太郎。

 北海道に移転してからの日本ハムは必ず核となる選手が存在し、チームの歴史を作ってきたが、この清宮のフィーバーぶりを見ていると、あらためて「清宮時代」の到来も近いと予感せざるを得なかった。

 そこで今回は、来たる清宮時代を楽しみに待ちながら、北の大地に本拠を構えてからの日本ハムの歴史を、時代を作った選手とともに振り返ってみたい。

黎明期を支えたアメリカ帰りの宇宙人


■新庄剛志時代:2004年〜2006年

 2004年から北海道・札幌ドームに本拠地を移した日本ハム。その心機一転ムードを盛り上げるかのように、2003年オフにメッツからFAになっていた新庄剛志を獲得した。

 新庄は入団会見の際に「札幌ドームを満員にする」と宣言。かぶりものなどを用いたパフォーマンスや、明るく楽しいプレーは「新庄劇場」と呼ばれ、北海道民の心を鷲掴み。ファンサービスとサプライズに溢れた「新庄劇場」は大いに移転直後のチームを盛り上げた。

 もちろん本業でも、引退宣言をした2006年にチームを初の日本一に導くなど結果を残した。新庄時代は3年と短かったが、次代への種が蒔かれた時期だった。

絶対的エースが作った黄金期


■ダルビッシュ有時代:2007年〜2011年

 2004年には、ダルビッシュ有(ドジャースからFA)をドラフト1巡目で指名。2年目の2006年には早くも2ケタとなる12勝を挙げるが、まだ新庄が在籍していたこともあり、ダルビッシュが話題を独占するには至らなかった。

 しかし2006年オフに新庄や小笠原道大(中日2軍監督)らが北海道を後にすると、一躍チームの顔に。他球団の前に脅威として立ちはだかり、2011年までに6年連続で2ケタ勝利、5年連続で防御率1点台を達成。圧倒的な成績を残して2011年オフにレンジャーズへと旅立った。

 2007年の覚醒を持って誕生した“ダルビッシュ王朝”の5年間は、日本一こそ手が届かなかったが、リーグを2回(2007年、2009年)、交流戦を1回(2007年)制した。また、Aクラスも4回と安定感抜群。唯一Aクラスを逃した2010年も3位に0.5ゲーム差の4位だった。

 ダルビッシュの時代は日本ハム史屈指の黄金期と言ってもいいだろう。


革命児が駆け抜けた5年間


■大谷翔平時代:2013年〜2017年

 2012年のドラフトの超目玉だった大谷翔平。しかし、「高卒即メジャー挑戦」を掲げたことで、NPBの球団には指名を諦めるムードが漂った。そんな状況下で、日本ハムは敢然と1位指名。大谷の気持ちを入団へと翻意させることに成功し、大谷時代が幕を開ける。

 前代未聞の二刀流挑戦。賛否両論のなかでの船出となった。さすがに「大谷時代元年」の2013年には振るわず、チームもリーグ優勝となった前年から打って変わって最下位に。

 しかし2年目に10勝・10本塁打を達成すると、二刀流の鋭さは年々増していく。3年目に最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠に輝き、4年目には10勝・20本塁打まで成績を伸ばした。

 すると大谷の成長に呼応するようにチームも上昇気流に乗り、「二刀流完成」とされた2016年には日本一を達成。2017年は大谷が故障に泣いたことでチームも振るわなかったが、自身の調子が球団の成績と密接にリンクするところが、時代を象徴する選手らしい。


新庄以来の野手による王朝


 こうして見ると、移転後の日本ハムにとってスター選手の存在がいかに大きかったのかがわかる。

 新庄が引退するとダルビッシュが覚醒。ダルビッシュが去ると、1年の空白期間を置いて大谷が入団。今回、大谷が海を渡ってどうなることかと危惧されたタイミングで、大スター候補・清宮が救世主のように現れた。このようにスターが入れ替わりで登場する継続性も、チームカラーがなせる技なのかもしれない。

 背番号「21」を背負う若武者は数年後、どんな「清宮時代」を見せてくれるのだろうか。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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