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第13回 「2013年“巳年男”」名鑑

「Weeklyなんでも選手名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。新年最初、第13回目のテーマは「2013年“巳年男”」名鑑です。

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 2013年がスタートしました。流れてくるニュースは、補強などの編成の話題から、「球界の正月」であるキャンプイン――2月1日に向けて準備する選手個々の話題へと切り替わっています。昨シーズン好成績を残していた選手はさらなる前進を、辛酸を味わった選手は再起を誓っているであろう年始、新しく迎えた巳年にちなみ「年男」となる選手たちをピックアップし、その野球人生を振り返ってみたいと思います。

山本昌(中日)

 今年8月に48歳を迎える山本昌は、現役選手として球界で初めて3度目の年男を経験する選手になりそうだ。最初の“年男イヤー”となった1989年(24歳)は、アメリカ留学から帰国し、習得したスクリューボールなどを駆使し初勝利を含む5勝を挙げた記念すべき年の翌年。飛躍が期待される中で迎えた。しかし、26試合に先発するものの9勝と不完全燃焼。オフには再びアメリカでの教育リーグへの参加を課された。しかし翌90年には2桁勝利を達成。その後は中日のエースとして20代を過ごす。93年、94年にはそれぞれ17勝、19勝を挙げ最多勝に輝いた。結果的に現在までの活躍の基礎となる1年だったとも考えられる。
 その後もローテーションを守り続け、コンスタントに勝ち星を稼ぎ続け99年にはチームのリーグ優勝にも貢献。2度目の年男イヤーとなった2001年(36歳)は、チームは5位に終わったが、エースの野口茂樹に続く10勝を挙げて健在ぶりをアピールした。
 その後は08年に43歳にして2桁勝利を挙げ、200勝も達成。しかし翌09年は先発ローテーションから漏れ、二軍生活が続き1勝。2010年も5勝に終わった。11年は球界最年長投手(46歳)となったが、右足首を痛め登板機会がないままシーズン終了。年俸を大幅に下げて迎えた12年は、高木守道新監督の下で再生を期待され、開幕カードで登板機会を得たほか12試合に先発し3勝。防御率も2.94と好投を見せた。工藤公康(横浜ほか)の持っていたプロ野球史上最年長先発勝利記録を更新。この活躍で契約延長に成功したことで、山本昌は球界史上初の3度目の年男イヤーを迎えることになった。現在は鳥取で自主トレに勤しむ。「肩や肘に問題はなく、例年以上に順調」との好調を伝えるコメントも。

[山本昌・グラフ解説]

 アメリカ留学から帰国し「秘密兵器」として脚光を浴びた翌年。プレッシャーのかかる24歳のシーズンは苦しみながらも9勝。防御率も2.93と結果を出す。「24歳」は5。最盛期を経て12年後の36歳のシーズンはローテを守る。13敗を喫しながらも10勝した。「36歳」は4。30年におよぶ現役生活は巳年生まれらしい執念深さなくしてなし得ない偉業「巳年男度」は5

チャートは、1度目の年男イヤーを迎える「24歳」時の成績のインパクト、2度目となる「36歳」時の成績のインパクト(もしくは期待度)、巳年の干支・蛇の特徴である情熱や執念深さを計る「巳年男度」を5段階評価しました(以下同)


新井貴浩(阪神)

 昨年は不振に襲われ阪神低迷の「戦犯」扱いされた選手の1人になってしまった、新井貴浩も今年36歳を迎える巳年男。最初の年男イヤー、24歳になった2001年は駒澤大から広島に入団して3年目のシーズンだった。この年、新井はベテラン・野村謙二郎欠場時には三塁、それ以外の試合では右翼などを守り124試合に出場した。打率.284、18本塁打、56打点。レギュラー奪取の足がかりを築く重要な年となった。翌02年は出場試合を140試合に伸ばし打率も.287と維持。本塁打は28本、打点は75に増やした。7番(もしくは6番)打者としては十分すぎる長打力を発揮した。01年の年男イヤーはこのブレイクの足がかりとなる重要な年だったことになる。
 31歳となった2008年に阪神へFA移籍。以来5シーズンは本塁打を20本に乗せられず、広島時代のような打撃でのインパクトは見せられずにいる。昨年は故障もあり122試合、打率.250、本塁打9本。長打率はキャリア最低の数字に終わった。海外FA権を取得した同僚の鳥谷敬が残留し、ツインズでもプレーした西岡剛が加入。新外国人コンラッド、弟の良太なども擁する内野の競争は激しい。2度目の年男イヤーは、今後の野球人生の行方を左右する重要な年となる。

[新井貴浩・グラフ解説]

 1度目の年男イヤー、24歳のシーズンは前田智徳、金本知憲、緒方孝市ら好打者に打力で向こうを張りインパクトを残した。「24歳」は4。今年迎える2度目の年男イヤーはかなり厳しい競争が見込まれる。「36歳」は3。蛇は脱皮する姿から「復活と再生」を司る生き物ともされる。チームと自身の浮沈を懸けた今シーズンは、まさに巳年男ならでは舞台。「巳年男度」は5


高木守道(中日監督)

 落合博満前監督の後を受け、3度目の監督を務める高木守道監督も今年72歳。現役時代に2度経験があるが、監督としては初の年男イヤーに挑む。
 1965年(24歳)のときは中日入団6年目。レギュラーとしては3年目のシーズンだった。二塁手として2番を打ち、21年間のキャリアで最高の146安打。打率は.302。盗塁は44個と活躍し、チームは2位になった。しかし、この年からライバル巨人のV9が始まったという因縁の年でもあった。
 12年後、2度目の年男イヤーとなる77年(36歳)も高木はレギュラーを張っていた。136安打を放ち打率.291。盗塁は10と減ったが、キャリアで2番目に多い20本塁打を放つなどパワーを発揮。翌年からコーチ兼任となったため、純粋な現役選手としては最後の年だった。その後3年プレーを続け、39歳で引退した。選手としての年男イヤーは、相当ツキがあったといっていい。引退後、コーチや監督を務めたが89年(48歳)、2001年(60歳)の年男イヤーは解説者として過ごしている。
 これまで86年と92年〜95年、2011年の計6年監督を務めた。最高順位は2位で3回。11年は巨人の後塵を拝したが自身過去最高勝率となる.586を記録した。現役時代に運気を見せた巳年に向けて助走は万全だ。

[高木守道・グラフ解説]

 初の3割、キャリア最多安打を記録した「24歳」は5。2度目の年男イヤー「36歳」も1番打者として20本塁打するなど打力を発揮。キャリア後半で最高の輝きを見せていたので5。現役時代も監督時代も、巨人という球界の盟主を追う執念を要する立場。また昨年は落合監督を支持するファンの厳しい視線の中でも臆せず発言。情熱を見せつけた。「巳年男度」も5。


その他の「2013年“巳年男”」選手たち

60歳真弓明信(解説者)
 実業団からクラウンライター入りして5年目の1977年に24歳に。初の100試合以上出場(116試合)を果たし打率.261。36歳を迎えた89年は95試合の出場に留まった。以降は若手の台頭もあり代打中心の出場に。年男イヤー、そこまで運気は見せられなかった。

60歳クロマティ(元巨人)
 24歳だった1977年、エクスポズで155試合に出場、メジャーでレギュラー定着を果たす。36歳になった89年は巨人で96試合終了時まで打率4割を維持した。最終的に.378で終わったがキャリアで最も注目を浴びたシーズンとなった。

60歳落合博満(解説者)
 選手・監督を通じ、年男イヤーにユニフォームを着ていたのは1989年(36歳)の1度だけ。この年はセ・リーグで初のタイトル、打点王を獲得している。98年に引退、2004年から2011年まで監督を務めたが、年男だった01年と今年(13年)はグラウンドを離れている。

48歳池山隆寛(ヤクルト1軍打撃コーチ)
 24歳だった1989年はキャリアハイとなる34本塁打を放ち、141三振を喫した。“ブンブン丸”の愛称を定着させた記念すべき年。36歳となった2001年は引退の前年。岩村明憲(現ヤクルト)にポジションを譲り主に代打で出場した。今年は1軍打撃コーチに昇格。年男として89年のような運気を発揮したい1年。

48歳古田敦也(解説者)
 1989年(24歳)はドラフト会議で指名された年。メガネの捕手は大成しないという慣習もひとつの要因となり大学生時は指名がなかったが、この歳にようやく指名される。2001年はプロ入り12年目の年。ケガを押して出場、打率.324を残してリーグ優勝に貢献した。

48歳斎藤雅樹(巨人1軍投手コーチ)
 早生まれのため7年目となる1989年(24歳)、斎藤は初の20勝を達成し最多賞も獲得。11試合連続完投勝利の日本記録も達成。36歳となった2001年は中継ぎなどもこなしチームのヤクルト追撃に寄与。その年をもって引退した年。巳年が節目となっている斎藤が、コーチとして初めて迎える年男イヤー。豊富なコマを持つ投手陣の運用で、年男として運気を発揮できるか?

36歳荒木雅博(中日)
 12年前の2001年、111試合の出場ながら打率.338を残した。この年の守備位置は中堅手。

36歳日高剛(阪神)
 6年目、24歳の日高はレギュラー定着2年目。打率.247ながら正捕手として129試合でマスクを被った、36歳となる今シーズンはFA権を行使して移籍した阪神でプレー。転機が訪れている。

36歳藤井秀悟(DeNA)
 2001年は早稲田大からヤクルトはプロ入りして2年目のシーズン。14勝(最多賞)、防御率3.17の成績を残しエース級の働きを見せる。翌年も10勝を挙げた。巨人を経て12年にDeNAへ移籍。今年は新天地での2年目。昨年は負けの込むチームで7勝を挙げる奮闘を見せた。前回の年男イヤーのような運気を引き寄せられれば、DeNAの最下位脱出も?

24歳 初の年男を迎える若手選手
 2008年に入団した高卒選手、2012年に入団した大卒選手などを、多くの選手が24歳を迎える。かつての選手たちの実績からブレイクには恰好の年齢。羽ばたく選手は現れるか?

 野手ではチームの真の4番になることを目指す中田翔(日本ハム)、同じ外野手の多村仁が抜けチャンスが生まれている福田秀平(ソフトバンク)。昨年は109試合に出場し、レギュラー獲りに挑む熊代聖人(西武)。ベテラン日高剛が抜け“やるしかない”状況の生まれた伊藤光(オリックス)。1年目で多くの経験を積む機会を与えられた岡島豪郎(楽天)。巨人の唯一といっていいウィークポイント・二塁で結果を出したい藤村大介(巨人)、大型補強されたチームでアピールを狙う森田一成(阪神)、そのほか鈴木大地(ロッテ)、丸佳浩(広島)らも年男です。
 投手では、年間フルの活躍を目指す唐川侑己(ロッテ)、若手投手の成長目立つチームで役割を見つけたい岩嵜翔(ソフトバンク)、大型ルーキーの本領を発揮したい藤岡貴裕(ロッテ)、2年目のジンクスに挑む益田直也(ロッテ)。星野仙一監督の期待が懸かる菊池保則(楽天)、故障続きで能力を発揮できていない由規(ヤクルト)、1年目からクレバーな投球を見せた野村祐輔(広島)、ケガで離脱した浅尾拓也の穴を埋めた中継ぎ・田島慎二(中日)、念願の巨人入りを果たした菅野智之(巨人)らが巳年です。


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 3度目の巳年を迎えた48歳を迎える山本昌は特異な例として、通常の野球人生を考えると24歳あたりでブレイク、もしくはレギュラー獲得といった出来事が起き、36歳あたりで経験を生かした活躍、もしくは力を落とし出場機会を失うというような転機が訪れる――。これはひとつのモデルケースのように映ります。年男だから……などというと縁起担ぎのようにも映りますが、年齢的に状況が変わる確率は低くはなく、なかなか理にかなったタイミングなのかもしれません。今回紹介した中では、高木守道監督の年男のツキっぷりはかなりのもの。何か起こしてくれそうな気がしてなりません。

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