週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

ダイエー戦士からソフトバンク戦士へ! 背番号がつむぐ強豪球団の絆

 かつての福岡のプロ野球チームといえば、野武士軍団・西鉄ライオンズだった。しかし西鉄が身売りし、ライオンズの所沢移転に伴って、1978年から10年に渡り福岡にはプロ野球チームが存在しなかった。

 そんな中、1988年にダイエーが南海電鉄からホークスを買収したことで、再び福岡にやプロ野球の火が灯る。福岡ダイエーホークスの誕生である。

 移転当初はなかなか勝つことができなかったが、徐々に戦力を整え、1999年に初優勝を果たすと、翌年には連覇を達成。一気にパ・リーグの強豪へ駆け上がっていった。

 2004年には親会社の経営不振から、身売りや合併騒動が持ち上がったが、ソフトバンクが買収したことで一件落着。チーム名を福岡ソフトバンクホークスに改めて船出を切った。

 勢いのある親会社のバックアップを受けて、チームの勢いもさらに加速。今やパ・リーグという枠を超えて、プロ野球界の中でも抜きん出た強さを誇っている。

 そんなダイエーからソフトバンクへとつながる時代の中で、脈々と受け継がれているレジェンド背番号を今回は紹介しよう。

100打点カルテットの背番号の行方


 ダイエー時代とソフトバンク時代の共通点といえば「強打」。特にダイエー時代は、「ダイハード打線」と呼ばれた大迫力の打線で、他球団の投手を震え上がらせた。

 その中心である「100打点カルテット」の背番号、小久保裕紀の「9」、井口資仁の「7」、城島健司の「2」は、柳田悠岐、中村晃、今宮健太と現在の顔役が背負っている。

 ボジションこそ違えど、チームカラーはしっかりと引き継がれていることがわかる。


 松中信彦の「3」は、退団のタイミングの問題で今季は空き番号になるが、これからつける選手は、必ずや主軸のはずだ。


投手四天王のナンバーの現在


 打撃に注目が集まりがちだが、20勝投手・斉藤和巳に、和田毅、新垣渚、杉内俊哉という松坂世代三銃士を擁した投手陣は、相当にハイレベルだった。

 その中でも注目なのは、斉藤の「66」と杉内の「47」の動向。

 66番は2014年のドラフト1位である、松本裕樹に渡った。昨季の松本は、ケガの治療のために大半をリハビリ組で過ごしたため、マウンドに上がったのは秋のフェニックスリーグの1イニングだけ。


 奇しくも「66」の先輩・斉藤自身もケガに悩まされながら、それでもソフトバンクでエースに上り詰めた。それだけに松本の背番号には、球団からの「斉藤のようなエースになれ」というメッセージが込められているように思える。

ルーキー右腕にわたった背番号「47」


 そしてもう一人、今季から杉内の「47」をつけるのが、昨年のドラフト1位・高橋純平だ。


 「47」といえば、工藤公康監督も現役時代につけていた背番号。他球団でも左腕のエースナンバーとして扱われることから、高橋も……と思いきや、彼は右投げである。

 オールドファンからすると、右投げの選手に渡るのは寂しい感じもするが、球団としては高橋に、イメージを打破する活躍を期待しているはず。

 ルーキーには荷が重い気もするが、あえてこの番号を託した事に球団の思いの強さを感じる。新しい「47」像を作り上げられるのは、高橋しかいない!


レジェンドナンバーの今後


 ソフトバンクのレジェンド番号は、他にも秋山幸二の「1」(現、内川聖一)、若田部健一や馬原孝浩の「14」(現、加治屋蓮)、篠原貴行の「16」(現、東浜巨)などが挙げられる。



 内川はもう心配ないが、他の選手も内川のように、与えられた背番号に恥じない成績を残すことが求められる。

 そして、まだレジェンドナンバーになっていない番号、例えば松田宣浩の「5」などは、これから伝説になっていく番号だ。

 レジェンドナンバーの維持と増加。これが叶った時、ソフトバンクはまさに世界一の球団になっているだろう。

文=森田真悟(もりた・しんご)

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方