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【プロ野球引退物語2017】相川亮二は本当に優勝に縁がなかったのか? 23年の数奇な捕手人生…

【プロ野球引退物語2017】相川亮二は本当に優勝に縁がなかったのか? 23年の数奇な捕手人生…

 アジア プロ野球チャンピオンシップ2017も終わり、プロ野球は本格的にストーブリーグへと突入した。選手たちはトレーニング、契約更改を行い来シーズンに備えている。

 一方で、来シーズンへの備えが不要となった選手もいる。今シーズン限りで現役を引退した選手たちだ。相川亮二(巨人)もそのひとり。連載企画「プロ野球引退物語2017」の第2回は、横浜(現DeNA)、ヤクルト、巨人で23年間の捕手人生を歩んだ相川を取り上げたい。

セ・リーグ3球団でプレー


 1994年ドラフト5位で東京学館高から横浜へ入団した相川。当時の横浜では谷繁元信がレギュラーを張っていたため、1軍デビューは入団5年目だった。谷繁が中日に移籍した2002年以降は出番が増え、2004年にレギュラーを獲得。2008年まで正捕手としてプレーした後、FA権を行使して2009年にヤクルトに移籍した。

 ヤクルトでは古田敦也の抜けた穴を埋め、初年度からレギュラーとして活躍。2010年にはキャリアハイの11本塁打をマークするなど打撃でも貢献した。しかし、故障や、中村悠平の台頭もあり出番は減ってゆく。2014年オフに再びFA宣言し、巨人へと移籍。FA宣言を2度行い、2度とも同一リーグに移籍したのは史上初のことだった。

 巨人では代打での起用が多かったものの、2015年には打率.313をマーク。控え捕手として3年間プレーした後、今シーズン限りでの現役引退となった。

1軍出場での優勝経験はないが……


 相川は横浜、ヤクルト、巨人と3球団に在籍したが、1軍のベンチで優勝を迎えた経験はない。入団4年目の1998年に横浜が優勝しているが、相川はその年、1軍での出場機会はなかった。これが23年間の現役生活におけるペナントレースでの唯一の優勝経験となっている。

 皮肉なことに、ヤクルトから巨人へFA移籍した2015年にはヤクルトが優勝。逆に巨人は、この年から3年連続で優勝を逃す。相川はとうとう、優勝に縁がないまま現役引退となってしまった。

 しかし、ペナントレースでは優勝を果たせなかった相川だが、国際試合では美酒を味わっている。2006年の第1回WBCだ。この大会で相川は里崎智也(当時ロッテ)、谷繁(当時中日)に次ぐ第3捕手としてメンバー入り。1試合のみではあるが出場し、安打も放った。

 相川の野球人生を辿る際、「優勝経験がない男」と言われることも多いが、れっきとしたWBC優勝メンバーなのだ。


愛されていた男の引退試合


 奇しくも相川の現役最終試合は神宮球場でのヤクルト戦となった。先発マスクとまではならなかったが、9回表に代打で登場。ビジターの神宮球場であるにも関わらず、ヤクルト時代の登場曲「KATTOBASE」が球場に響き渡った。また、このときだけはライトスタンドもレフトスタンドも関係なく、球場全体が相川を応援する雰囲気に包まれ、「相川コール」がこだました。

 その声援に後押しされたのか、内野安打を記録。有終の美を飾っている。試合後にはヤクルトの最終戦であるにも関わらず、両軍の選手から胴上げされ、グラウンドを去った。これこそ、多くのファンに愛された証だろう。

 23年の現役生活をまっとうした相川はコーチにはならず、外から野球を見るという。いつの日か、再びグラウンドに戻ってくることを期待したい。そのときはどこのユニフォームを着るのだろうか。今から楽しみでならない。


文=勝田聡(かつたさとし)

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