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板東英二、力投虚しく決勝戦敗退《夏の甲子園全決勝戦レビュー・第35回〜第41回大会》

【この記事の読みどころ】
・テレビ中継のスタート、照明の設置……甲子園が近代化へ
・夏に強い中京商(現中京大中京)、6回目の甲子園で優勝は5回!
・板東英二、4連投の力投虚しく決勝戦で敗退

1953年(昭和28年)
――第35回大会決勝

松山商|000|000|011|000|1|3
土佐 |200|000|000|000|0|2

大会史上に残る名勝負! 四国勢同士の死闘の結果は?


 決勝は松山商と土佐の四国勢同士の対決となった。初回に2点を先取した土佐は、9回表2死まで1点のリードを守ってきた。松山商の空谷泰がフライを打ち上げ、万事休すかと思われた時、土佐の野手が目測を誤り、安打となる。これをきっかけに松山商は同点に追いついた。最後は、延長13回表に四球と二塁打で松山商が決勝点を奪い、全国制覇を果たした。

 土佐ナインの全力疾走、礼儀正しさ、直向きなプレーは大観衆を魅了し、松山商に負けずとも劣らない賞賛の声があがった。「優勝旗のない優勝」といわれ、今日まで名勝負として語り継がれている。なお、この大会からNHKがテレビ中継を初めて開始。こうした背景もあり、この年の決勝戦の評価が高かったと思われる。

1954年(昭和29年)
――第36回大会決勝

中京商|000|000|210|3
静岡商|000|000|000|0

夏に強い! 中京商が5度目の優勝!!


 優勝したのは中京商だった。1931年・第17回大会から1933年・第19回大会までの3連覇を含めて、6回出場して5回の優勝を果たすなど、「夏に強い」と評判通りの結果を残した。

 静岡商との試合は、6回まで0−0と両チームとも打線が沈黙。7回表の中京商は、二塁打と敬遠でチャンスを掴み、タイムリーとエラーで2点を先制。この試合、当たりのなかった日置良一を敬遠したのが裏目となった。

 また、この大会で東九州代表として高鍋が初出場。日本全国、唯一出場がなかった宮崎県の高校が出場したことで、多くの宮崎県民を喜ばせた。

1955年(昭和30年)
――第37回大会決勝

四日市|101|000|020|4
坂出商|000|001|000|1

番狂わせの多かった大会を制したのは……


 戦後から10年が経過。全国の参加校が1721校と最高を記録した大会は波乱の連続で、無名の四日市が初の全国制覇を果たした。

 坂出商との決勝戦は、打率.271を誇る“打”の坂出商と、エース・高橋正勝は防御率0.33と“投”の四日市との対戦となった。試合は終始、四日市のペース。初回に先制点を挙げると、3回にも追加点。8回には2点をダメ押しし、四日市が初の栄冠を手にしたのだった。

1956年(昭和31年)
――第38回大会決勝

岐阜商|000|020|000|2
平安 |200|001|00×|3

甲子園球場にナイターが登場!


 この年の5月、甲子園球場に新たな名物が誕生した。夜間照明設備が完成して、日没で打ち切っていた試合を続けることができるようになったのだ。大会初日には早速その照明設備の威力が発揮される。第3試合の伊那北対静岡の試合で、高校野球初ナイター試合が実施された。

 さて、決勝戦は、平安が5年ぶり3度目の優勝を達成した。決勝の相手は岐阜商で、過去に2度、決勝戦で対決しており、1勝1敗と五分の戦績だったが、この年は平安が勝利。因縁の対決を制した。

1957年(昭和32年)
――第39回大会決勝

法政二|000|000|001|1
広島商|003|000|00×|3

被爆地に勇気を! 広島商が全国制覇!!


 戦後から12年が経ったこの年に優勝したのは、被爆地から出場した広島商だった。

 決勝の対戦相手の法政二は、準々決勝でセンバツ優勝校の早稲田実業を破り、勝ち上がってきた。王貞治(元巨人)を攻略してきた強敵だ。しかし、広島商は3回裏に3点を先取すると、そのまま押し切り、全国制覇を成し遂げた。

 3点を奪った際に殊勲打となる三塁打を放った、広島商の佐々木明三は原爆で被爆しながらの活躍。日本国中に勇気と感動を与えた。

1958年(昭和33年)
――第40回大会決勝

徳島商|000|000|000|0
柳井 |030|100|03×|7

記念大会で47都道府県がそろい踏み!


 第40回記念大会ということで、全国47都道府県から1校ずつ代表校が甲子園にやってきた。

 この記念大会を制したのは柳井。チームワークがよく、決勝戦も先制、中押し、ダメ押しと理想的な試合運びで勝利。初優勝を飾った。

 決勝戦で敗れた徳島商は、4連投となった板東英二(元中日)の疲労が堪えた。というのも、準々決勝では魚津と延長18回引き分け、翌日の再試合、準決勝を経ての決勝進出。なお、この大会で83個もの三振を奪った板東の1大会における奪三振記録は、未だ破られていない。

1959年(昭和34年)
――第41回大会決勝

西条  |010|100|000|000|006|8
宇都宮工|000|200|000|000|000|2

延長15回! 手に汗握る決勝戦を制したのは?


 この年も、波乱の多かった大会だった。センバツ優勝の中京商は1回戦敗退。戸畑や倉敷工、広陵など、大会前に有力校と目されていたチームも軒並み敗退。結果、決勝に残ったのは西条と宇都宮工であった。

 西条が先制し、宇都宮工が追いつく展開で、試合は延長戦に突入。決勝戦の延長は夏の甲子園で5度目となり、この年の大会では6度目を数えた。

 そして、延長15回表、西条は満塁のチャンスから得点を重ねて、一挙6点を奪う。宇都宮工ナインの緊張感は崩れてしまい、これで試合は決まった。


★★★次回は第42回〜第49回大会の決勝戦の模様をお伝えします。

(文=編集部)

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