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《甲子園・個性派列伝》東北高校・渡辺法聖だけじゃない。甲子園を沸かせた個性派フォームの選手たち


 目の肥えた甲子園フリークの心もとらえた、東北のエース、渡辺法聖の変則投法。「テイクバックゼロ投法」「招き猫投法」「変則背負い投法」と、その名称はメディアによってもさまざま。それほど特徴的なフォームである、という証でもあるだろう。

 この夏、地方大会では「逆一本足打法」など個性的なフォームが賑わいをみせたが、やはり勝ち上がってこそ、その独特なフォームもより味わいを増すというもの。過去、甲子園大会で注目を集めた変則フォームの選手たちを振り返りたい。

高松直志投手(能代 / 秋田):「星飛雄馬投法」


 1977年の第59回大会、1978年の第60回大会に出場したのが能代の左腕エース、高松直志投手だ。その投球フォームはグラブを持った右腕を天高く掲げ、右足のつま先を自分の頭より高く上げる、マンガ『巨人の星』の星飛雄馬を連想させるものだった。

《あのフォームにしたら、なぜか右打者のアウトコース低めへのコントロールがよくなった。その球でカウントを稼げるようになったことが大きい。スピードですか? 140キロ台の後半くらいは出ていたと思います》(『甲子園100年物語』より)とは本人の談。

 2年時の1977年の大会では2対10で高崎商(群馬)に敗退したものの、3年時の夏、地方大会39イニングで62奪三振を記録して甲子園に帰還。強豪・箕島(和歌山)相手に0対1で惜しくも敗退してしまったが、フォームに負けない派手な活躍で甲子園ファンを沸かせたのは間違いなかった。


長坂秀樹選手(東海大三 / 長野):「変則一本足打法(直角足上げ打法)」


 1996年夏、第78回大会。右の本格派として東海大三(現・東海大諏訪)を初の甲子園に導いたのが長坂秀樹投手だ。

 身長168センチと小柄ながら150キロ近いストレートを操り、「小さな巨人」とも呼ばれた長坂投手。ただ、もっと特徴的だったのが打撃フォーム。右打席に立つと、投手側の左足をほぼ直角に上げてタイミングを取る変則一本足打法が話題を呼んだ。

 投手としてはこの大会で優勝した松山商に0対6と打ち込まれてしまったが、打撃の方では2打数1安打。甲子園に確かな足跡を残した。

 長坂選手は高校卒業後、東海大に進学。ところが2年で中退し、一度はサラリーマンとして野球とは関係のない道を選んだ。その後、単身アメリカに渡って独立リーグでプレーするという、打撃フォームに負けず劣らずのユニークな野球人生を歩んだことも付け加えておきたい。

牧嶋隼風選手(東海大相模 / 神奈川):「牧嶋ダンス」


 2010年、第92回大会で準優勝した東海大相模。このチームの控え内野手としてチームを支えたのが牧嶋隼風選手であり、その代名詞が打席でみせる「牧嶋ダンス」だ。

 「牧嶋ダンス」の特徴は、バントの構えから腰を深くかがめ、常に両脚を小刻みに揺らし、体も左右に揺らしながらタイミングをとる、というもの。こんにゃく打法のようでいて、ときには投球中に打席内でステップして位置を変えるなど、相手投手のリズムを揺さぶり続けるものだった。

 残念ながら甲子園での出場機会はなかったものの、その打撃フォームは「牧嶋ダンス」と呼ばれ、「いつ出てくるのか!?」と注目を集めた。


 今大会では、東北・渡辺投手以外にも、唐津商(佐賀)・谷口優成投手の左足をピンとするフォームも注目を集めている。また、滋賀大会で敗れてしまったが、今春のセンバツに出場した滋賀学園の4番・馬越大地選手の「ヘリコプター打法」(バットを頭上でくるくるとまわしてタイミングを取る打法)も記憶に新しい。

 甲子園に出るような強豪校であっても個性的なフォームが尊重され、レギュラーになれる。背番号をもらえる。という点は、全国の野球少年たちにも大きな勇気を与えるのではないだろうか。

 今後もそんな個性派選手たちの登場と活躍に期待していきたい。


文=オグマナオト

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