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もう1度、1軍で輝く廣瀬純が見たかった。広島暗黒期を支えた名手が引退!


 25年ぶりに優勝を決めた広島。優勝に沸くチームの裏で、今まで広島を支えてきたベテラン選手がユニフォームを脱ぐ。寂しいことではあるが、厳しいプロの世界において、避けては通れない道。毎年のことながら、ファンとしては寂しさを隠しきれない。

 先日、今シーズンを限りに、倉義和、廣瀬純が引退することが発表された。

 1979年生まれの筆者にとって、同じ年生まれ(学年は廣瀬が1つ上)の廣瀬には強い思い入れがある。ここで、長年広島を支えてくれた廣瀬に敬意を表し、広島ファンの筆者が思いのたけをつづりたい。

荒んだ心に響いたレーザービーム


 2009年、私は地方での仕事と生活に耐え切れず、仕事を辞め東京に帰ってきていた。ただ、帰ってきたはいいが、仕事もなく惨めな日々を送っていた。私は大好きな野球と、広島の試合に救いを求めて数年ぶりに神宮球場を訪れる。

 そこで見た廣瀬のレーザービームに、私の心は射抜かれた。

 当時の広島は、暗黒期の真っ只中。今でこそ常時満員の客席だが、当時は空席も多く、とても人気球団のソレではなかった。

 戦力的にも厳しく、結果も出せない。当時の広島の位置付けはまぎれもなく弱小チームだった。しかし、弱いながらに見せるひたむきなプレーには心に訴えるものがあり、とても愛おしく感じながら見ていたのを昨日のことのように思い出す。

 とくに前年、自己ワーストに近い成績に落ち込んでいた廣瀬からは、この年にかける意気込み、這い上がろうとする気合がみなぎっており、田舎から戻ってきてやり直そうとする自分を投影しては、勝手に親近感を覚えていた。

 そんな経緯もあり、私は廣瀬という選手に注目するようになる。


日本一の右翼手


 日本記録となった15打席連続出塁や、打率3割をマークした打撃も魅力だが、廣瀬といえば、やはりその外野守備こそが代名詞だろう。私は、今でも日本一守備がうまいのは廣瀬であると信じて疑わない。

 廣瀬が活躍していた当時の広島の外野陣は、今も守備走塁のスペシャリストとして活躍する赤松真人がセンター、廣瀬がライトを守る鉄壁の布陣だった。

 赤松とアイコンタクトを取りながら、1球ごとに変わる廣瀬の守備位置には、テレビには映らない妙味があった。ただ球を追いかけるだけでなく、最短距離で追いつくための位置取りにこそ守備の奥深さがあることが解り、より野球が楽しく見えるようになったのを覚えている。

 当時私は、彼らの動きを見たいがために、内野席の上段から食い入るように観戦した。外野守備を見る楽しさを教えてくれたのは廣瀬だった。

ケガとの闘いの果てに引退


 ケガに悩まされ続けたのも、廣瀬の選手人生の特徴かもしれない。

 今シーズンも、2軍で好調だった時期には1軍復帰の話も出たそうだ。しかし、ここでも首の不調で、そのチャンスを棒に振ってしまった。結果として、このケガが引退へとつながることとなった。

 ほぼフル出場した2010年には、自己最高の成績を残しているだけに、そのポテンシャルの高さは実証済みだ。ケガさえなければ、優勝の場面に廣瀬がいた可能性は高い。それを思うと悔しさが残る。

 しかし、一番悔しい思いをしたのは廣瀬本人であることは間違いない。プロである以上試合に出られない悔しさは計り知れないものがある。

 それでも、引退会見の場で廣瀬はこう発言した。

「2軍にいて心が折れそうな時も、それまでやってきた野球に対して、変な態度をとらないように常に思っていた」

 悔しさはありながらも、自分のやってきた野球に対して真摯な態度を貫く姿勢はとてもカッコイイ。心からそう思えた。

 もう一度あの絶妙な守備を生で見たかった……。切に願うも、それはもう叶わぬ夢。

 雨で流れた引退試合の仕切り直しは10月1日に決まった。最後の勇姿をしっかりと目に焼きつけたいと思う。

 野球の奥深さと、楽しさを教えてくれた廣瀬純選手。16年間、どうもありがとうございました!


文=井上智博(いのうえ・ともひろ)

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