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《名監督列伝》チームの強さは人にあり。大阪桐蔭・西谷監督と日大三・小倉監督の人間力

《名監督列伝》チームの強さは人にあり。大阪桐蔭・西谷監督と日大三・小倉監督の人間力

 高校野球の主役はもちろん球児。

 だが、彼らをまとめ上げる監督のことを知ると高校野球はもっと面白くなる。

 高校野球監督とは甲子園に人生を捧げ、数奇な運命を生きる男たち。己のチームを作り上げ、地元のライバル校としのぎを削り、聖地を目指して戦い続ける。

 週刊野球太郎の7月連載では「高校野球 ザ・名監督列伝」と題して、4週に渡り16人の監督を紹介。いずれも今夏の甲子園でもひと暴れしてくれそうな名将ばかりなので、地方大会から戦いぶりをチェックしてほしい。

 第2回は大阪桐蔭の西谷浩一監督と、日大三の小倉全由監督が登場!

(以下、文中、敬称略)


■西谷浩一(大阪桐蔭)

 1998年の監督就任以来、中村剛也(西武)、中田翔(日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)ら、プロ野球界の数多のスターを輩出し、「21世紀最強チーム・大阪桐蔭」というブランドを築き上げた西谷浩一。

 甲子園では、センバツは7回出場して18勝5敗、優勝2回。夏の甲子園は6回出場して24勝3敗、優勝3回。通算13回出場で優勝5回。42勝8敗、勝率.840という驚異的な戦績を残している。

 今年のセンバツでも優勝。センバツ後も春季大阪府大会、春季近畿大会で優勝と2017年はいまのところ公式戦負けなし。2度目の甲子園春夏連覇へ視界良好だ。

 このように圧倒的な戦績で平成になってからの甲子園の頂点に立つ西谷。全国から集まる甲子園スター候補をまとめ上げ、戦う集団を作る指揮官だが、類稀なる指導力の背景には、どんなバックボーンがあったのだろうか。

怪物を生む西谷版「虎の穴」のバックボーン


 高校時代の西谷は報徳学園でプレーするも甲子園出場はなし。卒業後は関西大に進むも、控え捕手。4年時にはブルペン捕手ながら主将を務め、部員100人を超える大所帯のチームをまとめ上げた。

 西谷自身、関西大のキャプテン時代に得たものは大きいと語る。関西大時代の西谷がまとめるチームは選手が自主的にミーティングを行い、トレーニングメニューを決めていた。ミーティングに参加する選手やスタッフは皆、ベンチに入れなくてもチームへの深い愛情を持ち、サボる選手はいなかった。

 西谷はそのなかから「組織は人。皆がチーム作りに参加したら強い集団になれる」ことを知ったという。

 その経験があったが故に、大阪桐蔭では「監督がガミガミ押し付けるスタイル」でなく、選手が意見を言いやすいチームへと舵を切った。

 ただ、「押し付けない=自由」というわけではなく、選手に対しては1人ひとりの個性を見極めてアドバイスを送り、ときには個性を「武器」としてそのままにしておくこともある。

 結果、スターたちは3年間の高校野球生活で、自分だけの武器を身に着けたハイレベルな選手へと進化を遂げていくのだ。

 また、大阪桐蔭では控えの選手が腐ることなく、率先してチームをサポートすることでも知られている。ベンチ外の3年生も対戦相手の情報収集に精を出し、貢献する。

 サポートに徹する彼らの力は西谷が感心するほどで、もちろんレギュラーメンバーもその姿を見れば、いい加減なことはできない。

 ここにも関西大時代につかんだ「組織は人。みんながチーム作りに参加したら強い集団になれる」という思いが貫かれている。

驚くべきマメさ


 西谷といえば、お腹が突き出た見た目と裏腹に、フットワークがとても軽いのも高校野球ファンの間では有名だ。

 例えば2012年に行われた岐阜国体では、監督を務めた国体チームの練習後に、秋の大阪府大会を戦う新チームの練習を見るため大阪に戻り、その日のうちに岐阜にとんぼ返りしたこともある。

 このマメさは、なかなかマネできない。そんなところも「21世紀最強チーム」を作り上げる秘訣かもしれない。


■小倉全由(日大三)

 日大三から日本大を経て、1981年に関東一の監督に就任した小倉全由。1987年のセンバツで準優勝に輝くなど、早くからその手腕を発揮してきた。

 1997年から母校・日大三の監督になると、2001年の夏の甲子園で、当時の甲子園歴代最高記録となるチーム打率.427の強力打線で対戦相手を次々と圧倒し、初優勝。

 2011年夏には、全試合2ケタ安打の新記録を打ち立てながら2度目の全国制覇。「強打」を武器に「東の横綱・日大三」を作り上げた。

 これまで関東一、日大三を通じて、春は8回出場で13勝8敗。夏は11回出場で19勝9敗、優勝2回という戦績を誇っている。


打倒・清宮。闘将が目指す4度目の正直


 今年の日大三には、プロ注目のスラッガー・金成麗生(3年)、昨年の秋季東京都大会決勝で清宮幸太郎(早稲田実、3年)から5打席連続三振を奪った櫻井周斗(3年)がおり、センバツに続いて、夏の甲子園出場も十分に狙える位置にいる。

 しかし、日大三が属する西東京には、最大のライバル・早稲田実がおり、清宮の入学後の直接対決は3連敗中という部の悪い現実もある……。

 この状況に、小倉は「優勝よりも打倒・清宮」と公言してはばからない。この言葉からは、「清宮に勝つことが早稲田実に勝つことであり、早稲田実に勝つことが甲子園に行くための条件」という図式が見える。

 もちろん選手たちも同じ気持ちだろうが、今夏は特に小倉の早稲田実へのライバル心が燃えているように感じられる。両校はこれまで幾度の死闘を繰り広げてきた。もし直接対決となれば、また名勝負が見られそうだ。


選手にとって父親以上の存在


 また、小倉は情が深く、人望の厚さでも高校野球界トップクラス。

 2011年に夏の甲子園で優勝したときのインタビューで、主将の畔上翔(現Honda鈴鹿)が「監督を甲子園で胴上げしたいと思って戦ってきた」とコメント。選手たちから慕われぶりがうかがえる。

 小倉は、一緒に寮の風呂に入って裸のつき合いをするなど、積極的に選手とコミュニケーションをとっている。当世の若者気質からすると「ウザい」などと思われそうだが、そういった話は聞かない。毎年、伝わってくるのは「監督を日本一の男にする」という選手の気概だ。

 厳しく、優しく絶妙な距離感で接する。選手のことを愛し、自分から動く。だからこそ、選手から惚れられるのだろう。


選手との上手な付き合い方


 今回は西と東の名将にクローズアップした。

 監督には経験が問われがちなため、「若さ」がネックになることも多い。しかし、西谷監督も小倉監督も当然苦労は積んだのだろうが、表舞台に出てからは結果を出すのにさほど時間はかからなかった。

 エネルギッシュに、選手たちとともに戦うという姿勢で、全国にその名を轟かせてきた。西谷監督は47歳。小倉監督は60歳。年齢は干支がひと回りするほど離れているが、それが共通するところだ。

 いつか「新たな監督像」を作る人物が現れるだろうが、この2人は高校野球史におけるエポックメイキングな監督として語り継がれるだろう。

(本稿の西谷浩一監督の章は、本誌『野球太郎NO.010 高校野球監督名鑑編』に掲載された特集「西谷浩一「21世紀最強チーム」ができるまで」(取材・文=谷上史朗)を参照、引用しています。本誌の特集記事もぜひご覧ください)


文=森田真悟(もりた・しんご)

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