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応接間でスイングした79歳の元スラッガー

 連載第五回目を前にして、僕自身、大事な話を忘れていたことに気づきました。第二回でも説明した、当コーナーのタイトルが入った写真に関してです。

 向かって左が苅田久徳さん、右が水原茂さんで、どちらも80年近く前、日本プロ野球の黎明期から活躍した伝説の選手。それだけ昔でもあり、実はこの写真、本当はモノクロなんです。つまり、あとから彩色を施してある、ということを伝えそびれておりました。ごめんなさい。

 彩色をしていただいたのは、綱島理友氏。『プロ野球 ユニフォーム物語』の著者として知られるコラムニストで、1997年に刊行された『ボクを野球場に連れてって』(朝日文庫)は今でも面白く読める快著です。

 さて、その綱島氏に彩色を依頼したきっかけも『ユニフォーム物語』でした。この図鑑的大著は、日本球界で使用された歴代のユニフォームをイラストと文章で詳細に紹介。たとえば、その昔、戦時中に球団が消滅して実物がなくなっていたり、モノクロ写真しか資料がない場合でも、カラーのイラストで描かれています。
 では、何故それでもカラー化できるかといえば、資料の記述を頼りに色を再現する。資料もまったくない場合には、着用していた元選手に会いに行って、証言を頼りに色みを明らかにしていく。上の写真の彩色も、そうした作業の一環でなされたものなのです。
 僕は一度、綱島氏と一緒に、元選手の取材をしたことがあります。その名は、小鶴誠(こづる・まこと)。2003年に80歳で逝去されましたが、現役時代、1950年には日本のプロ野球で初めてシーズン50本塁打を超えた、右のスラッガーだった方です。

 2001年の秋、ちょうど今頃の時期でした。たまたま偶然、こちらで小鶴さんの取材を計画していたとき、綱島氏から「一緒に会いに行きませんか?」とメールが届いて驚きました。

 プロ通算1655試合に出場して1717安打、230本塁打、923打点、打率.280。守っては外野手、一塁手として、実働15年の小鶴さんは、戦前の1942年から名古屋軍、中部日本、急映、大映、松竹、広島といくつもの球団を渡り歩いた野球人です。それだけに着用したユニフォームも種類豊富ですから、綱島氏とすれば、ぜひとも色やデザインに関する証言を得ておきたかった重要人物。

 僕のほうでは、50年の51本塁打、いまだ日本記録のシーズン161打点をマークした打撃技術に始まり、「ボールが止まって見えた」伝説に至るまで、いろいろなお話をうかがいたかった方。

 お互いの思惑が見事に合致して、その年の暮れ、東京・練馬区のご自宅におじゃましました。



 綱島氏は僕が通っていた大学の先輩で、小鶴さんのご自宅は、なんと大学の敷地から目と鼻の先。この奇遇は取材をすることになって初めて知ったのですが、僕らを出迎えてくれた小鶴夫妻に早速伝えると親近感を持たれたようで、一気にその場が和やかな雰囲気になりました。

 当時、小鶴さんは79歳。ご高齢にも関わらず、ユニフォームに関して細かく検証する綱島氏の質問に丁寧に答えていく。答えながら、ご自身の打った瞬間をとらえた雑誌の写真に見入って、「このフォームはいい」、「このフォームはダメ」と技術解説もしていく。それを受けて僕が、現役時代のプレーについてうかがっていく−−。



 技術的な話が熱を帯びたとき、小鶴さんは立ち上がって、打撃フォームの解説を始めました。念のため、こちらで持参していたバットを渡すと、実際に何度も繰り返しスイング。場所が応接間ですから、さすがにフルスイングではなかったものの、全盛期のバッティングをリアルに想像させる姿を目の当たりにして、取材陣一同、大いに感激しました。



 バットを持参したのは、小鶴さんご自身、還暦に近づいた頃もバッティングセンターに通い詰め、<連日200球近く打っていた>という逸話を読んでいたからです。取材の終わり間際、僕がその話を持ちだすと、照れながらも「軟球を打つのは結構むつかしいのよ」と再び解説。終えるとしばし沈思黙考して、「限りないね、バッティングは」と発した一言が今も耳に残っています。

 面長で彫りの深い風貌と美しい打撃フォームが、同時代にヤンキースで活躍したジョー・ディマジオに似ていることから、[和製ディマジオ]と呼ばれた小鶴さん。1950年の日米野球でディマジオが来日したときに小鶴さんは面会し、ふたり並んで写った一枚が野球雑誌の表紙になりました。



 そろそろ取材も終わりに、というとき、小鶴さんは表紙写真の原版を持ってきてくれたのですが、原版が入っていた箱は、現役時代の小鶴さんをとらえた写真で満杯状態。一枚、一枚と取り出しては、また綱島氏がユニフォームに関する質問、答えつつ打撃フォームの解説−−。取材はとめどなく続きました。(小鶴誠さんのインタビューは11月21日発売の文庫に収録されています)

 次回は、球界の[天皇]と呼ばれた400勝投手、金田正一さんに会いに行ったときのことを書きたいと思います。

写真提供/小鶴誠
取材写真/井上博雅

文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会、記事を執筆してきた。10月5日発売の『野球太郎』では、板東英二氏にインタビュー。11月下旬には、増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』が刊行される(廣済堂文庫)。ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント @yasuyuki_taka

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