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野球界の歴史を変えた駒大苫小牧、香田誉士史監督、田中将大【高校野球100年物語】

【この記事の読みどころ】
・北海道勢初制覇から2連覇を成し遂げた駒大苫小牧
・甲子園最多勝監督・高嶋仁監督の今後は?
・OBも大活躍! 常勝軍団・大阪桐蔭


〈No.092/印象に残った勝負〉
37年ぶりの決勝戦・延長引き分け再試合――伝説の早実対駒大苫小牧


 2006年夏、甲子園大会決勝戦は、戦後初の大会3連覇を目指す駒大苫小牧と、第1回大会から参加し、27回目の出場で悲願の初優勝を目指す早稲田実業の対戦となった。

 試合は「世代最強エース」といわれた田中将大(現ヤンキース)を軸とする継投策の駒大苫小牧と、驚異的なスタミナで勝ち上がるたびに評価を高めていた早稲田実業のエース・斎藤佑樹(現日本ハム)による投手戦に。結局、延長15回まで1−1で両者譲らず、規定により引き分け再試合に。1969年夏、松山商対三沢戦以来、37年ぶりの決勝戦再試合となった。

 翌日の再試合は、早稲田実業が序盤にリードを奪い、駒大苫小牧が追いかける展開。4−1と3点リードで迎えた最終回、駒大苫小牧は2ランで1点差に詰め寄るも、最後は打者・田中将大に対して、斎藤がこの日最速の147キロのストレートで三振を奪い、試合終了。早稲田実業が悲願の夏の甲子園初制覇を達成した。試合後、勝って泣く斎藤に対して、敗れて微笑む田中、というコントラストの妙がまた印象深い。

 そして、この試合をスタンドで観戦していたのが小学1年生だった清宮幸太郎。両校の奮闘、特に斎藤佑樹のピッチングに魅せられた少年は、ラグビーより野球に熱を入れるようになり、後に同じユニフォームに袖を通し、甲子園を席巻することになる。

〈No.093/泣ける話〉
社会の機微をも切り取り、時代を映す選手宣誓


 かつては絶叫型が定番だった甲子園開幕を告げる選手宣誓。ところが1990年代頃から少しずつ宣誓文は長くなり、いつしか世間へのメッセージも込めた演説タイプの宣誓が増えていった。特に近年は社会情勢も鑑みて、考えさせられる内容の宣誓が多い。

 たとえば2011年センバツ。「私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです」で始まった創志学園・野山慎介主将による宣誓は、東日本大震災直後の日本社会に大きな反響を呼び、感動を誘った。

 高校野球100年の今年、8月6日の開会式で行われた選手宣誓では、鳥羽の梅谷成悟主将が「8月6日の意味」と「次の100年」について言及。今や選手宣誓は時代を映す鏡となっている。

〈No.094/印象に残った選手〉
新時代の到来を告げた大谷翔平


 花巻東時代、大谷翔平(現日本ハム)が甲子園に出場したのは2年夏と3年春の2回のみ。150キロの快速球や藤浪晋太郎(現阪神)から本塁打を放つなど、才能の片鱗は見せたものの、ケガもあって、大舞台で期待以上の大きな爪痕は残せなかった。

 だが最後の夏、岩手大会で日本アマチュア球界史上初となる最速160キロを計測。決勝戦で敗れ、甲子園出場は逃したものの、過去、どんな怪物たちも越えられなかった壁を打ち破り、新時代の到来を予感させた。そして、そんな突出した才能があっても甲子園出場は叶わない、野球はチームスポーツであり、今の高校球界のレベルの高さも証明した。

 その後、高卒から直接のMLB挑戦を表明して、物議を醸した。明らかにこれまでの球児とは違うものさしが必要になったことを、大谷翔平は知らしめたと言えるだろう。

〈No.095/印象に残った監督〉
高校球界に仁王立ち。通算勝利数歴代1位、智辯和歌山・高嶋仁監督


 甲子園通算成績63勝は歴代1位。春夏通算3度の全国制覇を誇る名将、それが智辯和歌山の高嶋仁監督だ。1972年から智辯学園で6年間監督を務め、1980年から兄弟校の智辯和歌山の監督に就任。1994年春、1997年夏、2000年夏に全国を制し、同校を全国屈指の強豪校に育て上げた。

 甲子園のベンチ前での”仁王立ち”がトレードマーク。厳しい指導方法で知られるが、自身も真夏、真冬でも関係なく、週に3度は高野山で山登りをするなど、自己鍛錬に励むことで常勝軍団を築き上げた。

 2015年夏、「高校野球100年」節目の年に、3年ぶりに夏の甲子園出場となったが、初戦敗退。すると、突如として勇退報道が流れた。今後の去就も注目されている。

〈No.096/知られざる球場秘話〉
リニューアル工事と甲子園歴史館


 1924年8月に完成した阪神甲子園球場。戦争を経て、阪神大震災も乗り越えた日本最古の本格的野球場は、その歴史をさらに未来へとつなげるために、2007年秋から3年に渡って大規模なリニューアル工事が実施された。

 施工を担当したのは球場建設にも携わった大林組。「歴史と伝統の継承」を基本コンセプトに、より安全で快適な球場として生まれ変わることが最大のテーマだった。たとえば、快適性向上のため、席数を減らしてでも座席間や通路の間隔を拡張。トイレや売店の整備、喫煙所や授乳室の新設など、21世紀にふさわしい球場へと変貌を遂げた。

 また、このリニューアル工事にあわせて、球場外野スタンド内に「甲子園歴史館」をオープン。高校野球の歴史も含め、日本野球史を後世に伝える場所として人気を博している。

〈No.097/時代を彩った高校 part1〉
北海道勢初制覇! 57年ぶりの夏連覇も達成した駒大苫小牧


 2004年夏、深紅の優勝旗は東北を通り越し、津軽海峡を越えて一気に北の大地へ。南北海道代表の駒大苫小牧が、春夏通じて北海道勢初となる全国制覇を達成した。この年の駒大苫小牧はとにかく打ちまくった。決勝戦も含め5試合で43得点。まさにチーム一丸で掴んだ初優勝だった。

 翌2005年も打撃力はそのままに、2年生エース・田中将大が奮闘。準々決勝、準決勝を1点差で勝ち上がり、決勝戦も制して57年ぶり史上6校目の大会連覇を達成した。

イラスト:横山英史

 2006年は決勝戦で引き分けとなり、再試合の末に準優勝。大会3連覇はならなかった。しかし、「雪上ノック」など雪国のハンデをものともしない猛練習で、香田誉士史監督(現西部ガスコーチ)が一時代を築き上げた。

〈No.098/時代を彩った高校 part2〉
公立校が演じた奇跡の勝利! 2007年、佐賀北の夏


 2007年夏、甲子園に「がばい旋風」が吹き荒れた。過去に1度も甲子園で勝ったことのない無名の公立校、佐賀県立佐賀北高校が怒濤の快進撃をみせたのだ。当時、人気を博した本「佐賀のがばいばあちゃん」から、「がばい旋風」と呼ばれた。

 開幕試合に登場して甲子園初勝利を収めると、2回戦では延長15回引き分け、再試合の末、宇治山田商に勝利。ここで一気に注目度が増す。準々決勝では「東の横綱」帝京を延長13回の激闘の末にサヨナラ勝ち。準決勝も勝ち上がり、誰も予想しなかった決勝戦進出を果たした。

 決勝戦の相手は広島の名門・広陵。戦前の予想通り、広陵ペースで試合が進み、8回表の時点で4−0。広陵のエースは、当時から好投手と評判高い野村祐輔(現広島)ということもあり、佐賀北は絶体絶命だった。ところが、8回裏、佐賀北は押し出しと満塁本塁打で一気に逆転。この試合を担当したNHK小野塚康之アナウンサーは「あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実です」という名フレーズを残した。

 こうして、奇跡的な逆転劇による全国制覇を達成した佐賀北。スターがいなくても、公立校であっても、全国の頂点に立つことができるという可能性を、全国の球児たちに示してくれた。

〈No.099/時代を彩った高校 part3〉
スター選手も続々輩出! 21世紀の常勝軍団・大阪桐蔭


 2008年夏、2012年春夏、2014年夏。この10年間で4度の日本一を成し遂げた大阪桐蔭は、「21世紀の常勝軍団」と呼ぶにふさわしい。2000年以降、甲子園での戦績は37勝9敗。勝率.804と圧倒的な強さを誇る背景は、なんといっても打撃力。2008年は浅村栄斗(現西武)が牽引する強力打線で1試合平均10.3得点。決勝戦では17−0の大勝をおさめた。

 大阪桐蔭の大きな特徴は、プロでも活躍する選手が続々と現れる点だ。上述した浅村以外にも、西岡剛(現阪神)、中村剛也(現西武)、中田翔(現日本ハム)、平田良介(現中日)、森友哉(現西武)など、今や球界を代表する打者ばかり。投手でも、岩田稔や藤浪晋太郎(ともに阪神)らを輩出し続けている。西谷浩一監督の個性を重視する指導法の賜物だ。その勢いはまだまだ衰えそうにない。

〈No.100/世相・人〉
そして、次の100年へ


 1915年、「第1回全国中等学校優勝野球大会」としてその歴史をスタートさせ、今に続く「夏の甲子園」。「高校野球100年」という節目の年となった2015年の大会も連日甲子園球場は賑わいを見せ、清宮幸太郎(早稲田実業)を筆頭に新時代のスター選手も登場している。

 だが、表面上の盛況とは裏腹に、問題は山積みだ。休養日が1日入ったからといっても過密日程は変わらない。投手の酷使問題。ますます気温が上がる真夏に行うことでの熱中症への懸念は、今や日本国内にとどまらず海外でも物議を醸し、批判を浴びるケースが年々増加している。

 こうした批判を受け、高野連では「タイブレーク制」の導入なども試験的に実施。だが、野球という競技の魅力を損なうものとして、拒否反応を示す層も多い。ほかにも、繰り返される体罰や特待生・野球留学の扱いなど、クリアしなければならないテーマは多岐に渡る。

 今後はこうした問題点に加え、少子化と野球人気の低下による「競技人口の減少」という大きな課題も待ち受けている。次の100年をどのように歩むのか? 高校野球ファン、関係者一人一人が問題意識を持ち、議論を重ねていく必要があるだろう。未来の球児たちが活き活きとプレーできる環境を、今を生きる我々が作り上げていかなければならない。


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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