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【いくつ知ってる!? 甲子園100ネタ!】伝説の決勝戦 サヨナラスリーバントスクイズに奇跡のバックホーム

文=落合初春

【甲子園100ネタ! 伝説の決勝戦10】サヨナラスリーバントスクイズに奇跡のバックホームetc…
 今夏、100回目を迎える夏の甲子園。第100回大会を記念して、これまでの甲子園の歴史から100のトピックスを厳選ピックアップ。第7回はファンの記憶に残る伝説の決勝戦10選!

甲子園・伝説の決勝戦


【61】奇跡のバックホーム
■1996年夏決勝
松山商 6対3 熊本工

 高校野球史に残る伝説のプレーといえば「奇跡のバックホーム」。1996年の決勝戦は松山商と熊本工が激しく競り合い、3対3で延長戦に突入。10回裏、熊本工は1死満塁の大チャンスを作り、打球はライトへの大飛球。誰もが熊本工のサヨナラ勝ちを確信したが、交代したばかりの松山商の右翼・矢野勝嗣の返球が浜風に乗り、ホームにピンポイントストライク。間一髪のタイミングでアウト、スリーアウトチェンジとなり、松山商はその直後の11回表に勝ち越し、優勝を決めた。

【62】史上初の決勝戦満塁ホームラン
■1994年夏決勝
佐賀商 8対4 樟南

 1994年夏、初の九州勢同士の決勝対決はドラマのような結末が待っていた。4対4、9回表2死満塁。絶好のチャンスで佐賀商・西原正勝が初球を振り切ると、ボールはレフトスタンド一直線。決勝戦史上初の満塁ホームランで佐賀商が勝ち越し、悲願の日本一を成し遂げた。

【63】佐賀県勢の伝統!? 満塁弾再び
■2007年夏決勝
佐賀北 5対4 広陵

 佐賀県勢の決勝での満塁ホームランはまだまだ続く。次に離れ業を見せたのは、2007年夏「がばい旋風」を巻き起こした佐賀北だ。強豪を相手に劇的な試合をものにしてきた佐賀北だったが、決勝では広陵のエース・野村祐輔(現広島)を前に7回までわずか1安打。4点リードを許し、ここまでかと思われた。しかし、8回に連打と押し出し四球で1点を返し、なおも1死満塁。3番・副島浩史がスライダーを振り抜くと、打球は高々とレフトスタンドへ。奇跡的な逆転満塁ホームランで試合をひっくり返した。

【64】泣いた勝者、笑った敗者
■2009年夏決勝
中京大中京 10対9 日本文理

 甲子園の魔物が両軍を翻弄したのは、2009年夏決勝。中京大中京が6点リードで迎えた9回表にドラマが待っていた。中京大中京の守り、マウンドに上がったのは堂林翔太(現広島)。簡単に2アウトを取り、目の前に全国制覇が見えてきた。しかし、日本文理がここから猛反撃を開始。4安打3四死球を集め、なんと1点差に迫り、なおも2死一、三塁。甲子園は異様な熱気に包まれた。

 迎える打者は8番・若林尚希。引っ張った打球は痛烈なライナー。試合が振り出しに戻ったかに見えた。しかし、テレビ画面が切り替わるとボールは三塁手・河合完治が差し出したグラブの中にスッポリ。試合後、中京大中京ナインは安堵に泣き、日本文理ナインはやりきった笑顔に溢れていた。

【65】史上初の決勝再試合
■1969年夏決勝
松山商 0対0 三沢(延長18回)
松山商 4対2 三沢

 オールドファンの心に今も残る伝説の決勝といえば、1969年夏、三沢と松山商の2戦だ。三沢のエースは「元祖甲子園アイドル」と言われる太田幸司(元近鉄ほか)。大会を通じて人気が爆発し、女性ファンが甲子園に大挙した。しかし、決勝再試合の末に勝利を収めたのは松山商。1戦目では再三のサヨナラのピンチをしのぎ、高いディフェンス力で勝利をもぎ取った。

 当時は太田が「悲劇のエース」といわれ、話題をさらったが、三沢ナインは後年、松山商の緻密で洗練された野球に負けたと忌憚なく語っている。

【66】ハンカチ王子×マー君
■2006年夏決勝
早稲田実 1対1 駒大苫小牧(延長15回)
早稲田実 4対3 駒大苫小牧

 2006年夏は殿堂入りクラスの決勝戦だった。早稲田実のエースはハンカチ王子としてスターになった斎藤佑樹(現日本ハム)、駒大苫小牧のエースはプロ大注目の逸材・田中将大(現ヤンキース)。1戦目では斎藤が先発、田中は3回途中からロングリリーフ、両軍8回に1点ずつを取るが、一歩も譲らず、再試合にもつれ込んだ。

 再試合でも斎藤は先発、田中も1回途中からマウンドに上がり、両者の意地と意地がぶつかり合う展開に。9回表2死。あと1アウトで全国制覇に迫った早稲田実。打席で斎藤と対峙するのは田中。ここで斎藤はこの日最速の147キロのストレートを繰り出す大力投。7球で空振り三振に仕留め、熱戦に終止符を打った。

【67】「逆転のPL」誕生
■1978年夏決勝
PL学園 3x対2 高知

 1980年代に高校野球界の先頭を突っ走ったPL学園。黄金時代のはじまりは1978年夏だった。高知商との準決勝では、0対4で迎えた9回裏に4点差を追いつき、延長でサヨナラ勝ち。続く松山商との決勝でも9回裏、0対2から逆転サヨナラ勝ち。ここから「逆転のPL」の歴史がはじまった。

【68】黄色い歓声が響いた「KKコンビ」の夏
■1985年夏決勝
PL学園 4x対3 宇部商

 昭和高校野球の殿堂であるPL学園、KKコンビ。最後の夏の決勝・宇部商戦は劇的な試合だった。清原和博が2本塁打を放ち、植草貞夫アナが「甲子園は清原のためにあるのか!」と絶叫。しかし、宇部商も食らいつき、3対3で9回裏へ。清原がネクストバッターサークルに控える中、主将・松山秀明(元オリックス)のタイムリーでPL学園が頂点に立った。松山が打った瞬間、甲子園は女性ファンの黄色い歓声に包まれた。当時の映像を見るだけでPL学園、そしてKKコンビの女性人気がうかがえる。

【69】夏の甲子園、史上唯一の決勝戦サヨナラ弾
1977年夏決勝
東洋大姫路 4x対1 東邦

 夏の甲子園決勝で唯一の幕切れ、サヨナラホームランで全国制覇を決めたのは1977年夏の東洋大姫路だ。バンビ・坂本佳一を擁する東邦と接戦の末、10回裏に主砲・安井浩二が3ランで試合を決めた。1年生エース・坂本にとっては酷過ぎる夏の終わり、東洋大姫路にとっては最高の幕切れだった。

【70】伝説のスリーバントスクイズ
■1973年夏決勝
広島商 3x対2 静岡

 甲子園決勝という極限の舞台で「十八番」を決めたのは、1973年夏の広島商だ。2対2の9回裏、1死満塁、2ボール2ストライク。広島商・迫田穆成監督が8番・大利裕二に出たサインはスクイズだった。迫田監督は「2ストライクからいく」と予告しており、研ぎ澄まされた気、「広商野球」の自信を持って選手たちはこの指令を完遂。史上唯一のサヨナラスクイズで夏の甲子園を極めた。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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