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第二十五回 「心から野球を楽しむ」

 子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考える「野球育児」コーナー。野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「野球はけっして怖いものではない、楽しいものだ」と子どもたちに感じてもらうには、を語ります。


WBC準決勝中に感じた、ささやかな幸せ


「内川の心理を考えると、十分起こりうることなんだよな…」
 WBCの準決勝、プエルトリコ戦を春休み真っただ中の長男ゆうたろうと生テレビ観戦していた。そして8回に起こった日本の手痛い走塁ミス。その後、しばしの間、この走塁に関し、息子と意見を述べ合う展開になった。
「おまえは今、なんのサインが出てたと思う?」
「たぶん、『いけたらいけ』やったんちゃうかなぁ。台湾戦の鳥谷の盗塁もそうやったみたいやし、日本代表にとって青信号は普通のことみたいやし」
「おれもそう思う。でも、『いけたらいけ』のサインだとしたら、一番プレッシャーかかるのは、内川やで」
「そうだよね。井端がスタートを切ったことを確認してからスタートを切ると、単独スチールの時と比べてかなり出遅れる。なのにキャッチャーは鬼肩のモリーナ。そして内川は同点の走者。内川にしたら『二塁に送球してくる可能性は高い。スタートが遅れる分を必死でカバーしなきゃ!』っていう心理が強く働く。それに、あれだけ井端が何歩もスタートを切ってしまったら、『よしっ! 井端さんは走った!』と思い込んでしまうのもわからんではないよね」
「そう考えると、なにがなんでも次の球で走るジスボールのサインでダブルスチールをやるのもありだったかもな…。『いけたらいけ』でやるなら、一塁ランナーは無理に二塁ランナーについていかなくてもいいという約束事を作るべきだろうし、二塁ランナーは絶対に偽走をしないっていう約束事も作ったほうがよかったんだろうな」
「約束事はあったのかもしれないけど、こんな緊迫した場面だと、頭から飛んじゃうのかもね…」
「そうなんだよな。約束はあったんだろうけど、この場面だからな…。っていうか、この場面であんなにも思い切りスタートを切れた内川っておれすごいと思うんだけどな」
「なるほど、そういう見方もできるよね。おれやったら、ようスタートきらんわ。こわくて」
「走塁ベタな自分と内川を一緒にすんな!」
 敗色濃厚の日本の戦いをテレビ画面越しに見つめつつ、私は「いつのまにか、こういう野球の話が息子と普通にできるようになったんだなぁ」という感慨にふけっていた。
 野球に興味を持ち始めた8年前、「盗塁ってなに?」「いつ走ったらいいの?」などと言っていた7歳の男の子と同一人物なんだと思うと、心の中でなんともいえない思いが込み上げてきた。
(もしも子どもが野球に興味を持ってくれなかったら、おれ、今頃テレビに向かって、ブツブツひとりごというしかなかったんだろうなぁ…。そうやって考えたら、幸せな話なのかもしれないなぁ。こんな野球バカのオヤジと対等に話せる息子に育ってくれたということは…)

お好み焼き屋で出会った反面教師たち


 その夜、スポーツニュースでは、敗戦の責任を一人で負ってしまったかのような、涙にむせぶ内川の姿が流れ続けた。ゆうたろうは「これじゃまるで内川一人が悪いみたいやないか…。少なくとも野球のことをあまり知らない人はみんなそう思うで!」と納得のいかない表情を見せていた。
 私は内川の涙を見ながら、ある心配に駆られていた。
(せっかく今回のWBCで野球に興味を持つ少年少女が増えてきたっていう嬉しいニュースが耳に飛び込んでくるのに、こんなつらい映像を見てしまったら、「野球ってなんておそろしいスポーツ…。ひとつの失敗でこんなにも周りから追いつめられ、やり玉に挙がってしまうんだ…。あーこわい、こわい。やっぱ野球なんてやめとこ」って思う子が続出しないだろうか?)
 野球はすべてのプレーがスコアブックに記録できてしまうほど、ひとつひとつのプレーが明確に結果として残る団体競技だ。当然、失敗も記録として永遠に残る。その上、「失敗がつきもの」と称されるスポーツ。いうなれば、戦犯探しがしやすいスポーツであり、選手の失敗のケアをもっとも丁寧に的確におこなわなければならないスポーツなのではないかと思ったりする。
(そういえば、少年野球の世界でも選手を戦犯のように祭り上げる指導者がいたりするもんな…)

 まだ少年野球の指導者を始める前のこと。週末の夜に近所のお好み焼き屋さんで外食をすると、必ずといっていいほど、ある少年野球チームの指導者たちがユニホーム姿で飲み会をおこなっていた。そして会話の内容の大半は聞くに堪えないようなものだった。
「あそこであいつがエラーさえしなきゃ勝てたのによ〜!」
「あいつ、この前も大事なとこでやりよったしな」
「ハートが弱いんだよな、あいつは…」
「もうあいつは使わん。レギュラー降格やな。きっと卒業までろくに試合でられへんやろな」
 そんな類の話がいつも延々と繰り広げられている。
(こんなところで大声で自分の悪口を酒の肴にされていると知ったら、当の親子はどんなにショックを受けることだろう…)
 その人たちのテーブルに赴き、ひとりひとり殴ってやりたい衝動に駆られた。
と同時に、私の中に、ある決意が芽生えていた。
(もしも、自分が少年野球の指導者をする機会がいつの日か、めぐってきたら、絶対にこの人たちのような指導者にはならないぞ…!)

起用した指導者がいつだって悪いのだ


巨人の原辰徳監督は著書の中で次のように語っている。
「私は選手を起用する際、まず『どいつと失敗しようかな』と考えます。自分の心に『おれは誰と失敗したら悔いが残らないだろうか』と日々、問い続けています。ぼくはバットを平気で放り投げたりするような、道具を大切に扱えない選手は嫌いです。そういう選手と一緒に失敗したいという気持ちはなかなか起こりません。逆に自軍のライバル選手にベンチから懸命に声援を送っている姿を見ると『この選手となら失敗してもいい』と思えたりする。そう自分が思えたなら、あとは腹をくくるだけ。その選手がどんな悪い結果を出そうとも、一切後悔はしません」
 8年前に少年野球指導者になる機会に恵まれた際、私は原さんのこの考え方の通りにやろうと決意し、その後も7年間にわたり、一切心変わりすることはなかった。「失敗のスポーツ」と称される野球という団体競技の指導者をする上で、これ以上、納得できる考え方はないと思えたのだ。
 選手たちにも、「ぼくはこういう考え方でいる」ということをはっきりと伝えた。そして野球は失敗がつきもののスポーツであることをくどいくらいに言い続けた。
「『失敗』という言葉をめくると、裏には『成長』という言葉が隠れているねん。つまり野球という失敗がつきもののスポーツは成長する機会がたくさん潜んでるスポーツでもあるってこと。失敗に対してどう向き合うかっていうことを一番学びやすいスポーツじゃないか、と思ってる。だから失敗しないでおこうとびびる必要はいっさいないんやで。失敗しても『おれを使った服部コーチが悪い』って思っとけばいい。実際、そうなんやから。おまえたちがどんな失敗をしようとも、使った指導者が悪いねん。やろうと思えばできることをやらなかったときはきつく叱らせてもらうけど、エラーや三振をいくらしようとも、絶対に責めたりしないことを約束するから。そのかわり、失敗を恐れない、前向きな『かっこいい失敗』をたくさんおれたちや親に見せてな!」

野球を心から前向きに楽しむために


 そんな話をすると、子どもたちの表情が一気に和らいでいくのが手に取るようにわかる。
そんな子どもたちを見ていると、「失敗しても大丈夫なんだ」と思えてこそ、野球というスポーツは心の底から前向きに楽しむことができるのかも、と思ったりする。
その域に子どもたちを持っていけるかどうか。そのカギを握っているのは間違いなく、指導者、そして親といっていいだろう。
子どもから失敗に対する恐怖を取り除けたならば、野球育児の根幹の部分は成功したようなもの。
そして、ひとつ付け加えるならば、そういう土壌で育まれた野球小僧たちは、マスコミのように内川を戦犯のごとく扱ったりするような発言は、けっしてしないと思うのである。




文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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