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大器晩成すぎる!? “高校通算本塁打0本”でもプロで大スラッガーになった選手は?


 熱戦の火蓋が切って落とされた夏の高校野球。今年も早稲田実業の清宮幸太郎に注目が集まるなか、清宮は7月10日の初戦でいきなり本塁打。高校通算本塁打を51本に伸ばし、歴代1位の山本大貴(神港学園)の107本を超えるのではないかと囁かれている。

 しかし、この“高校通算本塁打”は野球ファンにとっては永遠の議題。「グラウンドが小さい」「試合数が違う」「○○は活躍しなかった」……などなど、否定要素が挙げられやすい数字でもあるのだ

 確かに本塁打の数が多ければ夢は増す。だが、プロ野球のなかには「高校時代はサク越えなし!」という選手が意外と存在する。

 たとえば、中島卓也(日本ハム)。カットの名手、小技の名手として存在感を示す中島は、実は小学生の頃から現在に至るまで、サク越えゼロ。生涯小技を貫きプロの一線で戦う稀有な選手だ。

 そしてさらに驚かされるのは“高校通算本塁打0本”でもプロで本塁打王を獲得した選手がいること。そんな晩成型の歴代スラッガーを紹介しよう。

小笠原道大(元中日ほか)


 実働19年で10回もの30本塁打超えを果たした小笠原。2006年には本塁打王に輝き、通算本塁打は378本にも及ぶ。

 しかし、じつは中学・高校時代はまったく無名の選手。暁星国際高で夏の千葉大会準優勝を果たしているが、入学にあたっては有望選手のバーターで獲ってもらったほど。捕手や内野をこなす、いわゆる非力な便利屋だった。高校卒業時にNTT関東に進む際には、提出する“実績”に色をつけてもらったと語っている。

 社会人5年目の1996年に日本ハムからドラフト3位で指名。そのときの評価も「捕手・内野手ができるユーティリティープレーヤー」だった。

 当然、打撃面でプロの壁にぶち当たった小笠原だったが、当時の打撃コーチを務めていた加藤英司氏が「とにかくフルスイングでいけ!」と指導。その教えを忠実に守り、フルスイングを貫いた結果、3年目には25本塁打を記録。大スラッガーへの階段を駆け上がっていった。


掛布雅之(元阪神)


 通算349本塁打。長年に渡って阪神の主軸を担った「ミスター・タイガース」も、じつは高校時代の本塁打はなし。

 千葉の名門・習志野高で4番・遊撃手を務めていたが、175センチと大柄ではない掛布はいわゆる無名選手。甲子園にも出場しているが、シュアなバッティングを信条としていた。

 プロ入りも千葉商で監督を務めたことのある父親が、掛布の進路について教え子たちに声をかけ、回りまわって阪神の2軍キャンプに帯同。そこで素質を見出され、徹底的に鍛えられた掛布は高卒1年目から3本塁打を放ち、メキメキと長打力を伸ばしていった。

 当時の阪神にはスラッガーを発掘する目、育てる力があったということだ。

門田博光(元南海ほか)


 歴代3位の通算567本塁打。40歳を超えても本塁打をかっ飛ばしまくった「不惑の大砲」も、驚くことに“高校通算本塁打なし組”だ。

 奈良の名門・天理高で4番・中堅手を張った門田。当時売りは俊足巧打。それもそのはず、身長170センチと小柄だったからだ。しかし、門田は“研究と練習の鬼”、そして“フルスイング信者”だった。

 ノンプロの強豪・クラレ岡山で強打者のフォームを学び、暇があればバットを振る求道精神で打撃開眼。プロ1年目から8本塁打を放ち、2年目には31本塁打で本塁打王を獲得した。

 その後もフルスイング、本塁打にこだわりまくった門田。小笠原、掛布もフルスイングへのこだわりを持って、大スラッガーに成長した。

 今、本塁打を打てなくてもフルスイングが光る高校球児は多い。今夏は高校球界の“フルスイング党”にも注目したい。


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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