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祝ベストナイン受賞!変わるごとに上昇気流に乗る中日・平田良介の背番号物語

 プロ野球選手にとっての背番号は、かくも大切なもの。中日ドラゴンズの平田良介の活躍を見るにつけ、改めてそう思わずにはいられなかった。今年で27歳、移籍を一度も経験していないにも関わらず、背番号は2度変更。しかし背中の番号が変わるたび、成績は上向いてきた。そんな平田と背番号の関係を紐解いていく。



「8」の期待に応えられなかった5年


 2005年の高校生ドラフトで、中日ドラゴンズから1巡目指名を受けて入団した平田。1年生の秋から名門・大阪桐蔭高校の4番を任され、その年の夏の甲子園では1試合3本塁打を放つなど大暴れしたスラッガーだったことから、最高の評価を受けながらプロの門を叩いた。

 そして与えられた背番号は「8」。直前まで森野将彦が付けていた番号であり、球団としてもいかに平田に期待していたかが伝わってくる。「ここからスター街道まっしぐら!」となるはずだったのだが…、プロの世界はそんなに甘くはなかった。

 ルーキーイヤーこそ日本ハムとの日本シリーズでダルビッシュ有から打点を挙げるなど活躍したものの、安定した成績を残せなかったため、なかなか1軍に定着することが叶わなかったのだ。入団して最初の5シーズンは、合計112試合の出場でホームランに至っては3本しか打てず、物足りないどころか期待はずれという結果に。そしてついに背番号8は剥奪され、2011年からは「40」を背負ってプレーすることになった。


飛躍のきっかけになった背番号「40」


 心機一転を計った6年目だったが、例年通り開幕は2軍で迎えることに。今年もダメかと思ったが、5月5日に1軍昇格すると、立て続けにホームランと1試合4安打を放つ。さらに2試合連続でサヨナラホームランを打つなど、6月の月間MVPを獲得するまでになった。

 結果的にこの年は、113試合に出場し11本塁打とキャリアハイの成績を残す。プロ入り時の期待からすると「ようやく……」といった格好だ。しかしここから毎年二桁ホームランを打ち始めたことを考えると、背番号の変更は平田にとって一つの転機になったことは間違いないだろう。

 そしてレギュラーに定着してきた平田に、2013年のオフ、再び変化の時が訪れる。背番号「6」への変更だ。


「6」とともにドラゴンズの顔役へ


 2013年の契約更改で、落合博満GMは平田に背番号変更を打診。いくつかの番号を用意していた中で、平田は「好きな数字」という理由で迷わず「6」を選択した。「6」と言えば、落合GMが現役時代につけていた背番号。

 元々平田は落合GMの鶴の一声で獲得が決まった選手。そんな落合チルドレンの平田が、自分の好きな数字とはいえ背番号「6」を選んだことに、不思議な縁を感じる。そして初めて自分で選んだ背番号でシーズンに臨んだ平田は、2014年にプロ入り初の規定打席に到達すると、今年は侍ジャパンの一員にまで上り詰めた。

 また落合GMは、26歳でプロ入りし28歳で33本塁打を打ってブレイクした遅咲きの名選手。そして奇しくも平田が、来年で28歳を迎える。それだけに来季は背番号「6」を背負った右打ちのスラッガーに、往年の名選手の姿を重ねてみたい。


文=森田真悟(もりた・しんご)
埼玉県出身。地元球団・埼玉西武ライオンズをこよなく愛するアラサーのフリーライター。現在は1歳半の息子に野球中継を見せて、日々、英才教育に勤しむ。

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