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file#008 松田宣浩(内野手・ソフトバンク)の場合

◎初めて見たのは10年前の亜細亜大・1年のとき

 今や押しも押されぬソフトバンクの主軸打者となった松田宣浩。彼を初めて見たのは、もう今から10年前。2002年の大学選手権・決勝でのことだった。
 当時、私は約8年に渡って務めた会社を辞めた直後であった。それはもちろん、今のようなライターを目指すために一大決心しての行動であったが、プロ野球の選手や歴史についての知識はそれなりに持っているという自負はあったものの(今思えばそれも恥ずかしい限りであったが)、アマチュア野球、とりわけ大学野球と社会人野球についての知識・見識はほぼゼロに近い状況だった。そこで、まず大学野球の甲子園大会的存在である大学選手権を見に行こう! と、神宮球場に足を運び、東海大・久保裕也(現巨人)と九州共立大・新垣渚(現ソフトバンク)の投げ合いなど、初めて見る大学野球の世界を観客席で目を輝かせながら見ていた頃だった。
 その大会の決勝戦で、やたらと思い切りのいいスイングをしていた亜細亜大の1年生3番打者が松田である。この試合は、木佐貫洋(現オリックス)と早稲田大・和田毅(現オリオールズ)による投げ合いとなり、10回裏に亜細亜大がサヨナラ勝ちを収めて大学日本一となったが、松田は大会を通じて1年生らしからぬ活躍が評価され、敢闘賞を受賞している。岐阜・中京商業高(現中京高)時代には、2年夏に甲子園に出場している松田であったが、そのときのプレーを見ていなかった私にとっても、物怖じしないスイングは大変新鮮に見えた。



◎東都大学リーグで滞空時間の聖域を確立した男

 その後、松田とは“スタンドから見る観客”という立場として、長い付き合いとなる。特に03年春は、「炎のストップウオッチャー」の自主的な取材として、「東京六大学リーグと東都大学リーグはどちらがレベルが高いか、ストップウオッチの測定結果で分析する」というテーマに挑戦したため、ほぼ毎試合神宮球場に通って試合を見た。
 そのとき改めて、松田の打球スピードの速さに驚かされることとなる。それは飛球の滞空時間の長さに確実に表れていた。
 元はといえば、当時関わっていた雑誌の担当編集者から「バカバカしすぎていいんじゃない?」と提案され、自分でも何だかよくわからぬまま測り始めていた滞空時間であったが、本塁打の少ないアマチュア野球においては、打球スピードを知るうえで思わぬ好結果を生み出すことになる。アマチュアの場合、非力な選手が打ち上げた滞空時間は、どんなに芯でとらえたものでも5秒台後半がせいぜいで、6秒以上を記録するのは限られたスラッガーのみだけであることがわかってきたのだ。
 そんな中、松田の打球は内外野に関係なく、フライを打つたびにことごとく6秒台の“聖域”に突入するタイムを記録したのである。そんな選手は、東京六大学、東都を合わせてもさすがに松田しかおらず、彼の長打力を本塁打数以外の数値で鮮明に表すことができた。
 その意味で、松田はライターへと転身した私にとって、恩人とも言える存在なのである。

◎最終学年の半年を不祥事でフイに

 松田は、その後も亜細亜大の主軸として、厳しいマークを受けながらも本塁打を打ちつづけていく。常にフルスイングすることを身上とする打撃スタイルは、ド派手な打球が出る反面、タイミングを外されて大きく空振りしたり、厳しいインコース
を強引に打とうとしてバットが真っ二つになるなど、無様な姿を見せる諸刃の剣でもあり、打率は驚くほど低かったが、勝負どころで打つことが多かったせいか活躍している印象は強かった。  それに、ボールをとらえさえすれば誰も到達できない滞空時間6秒の“聖域”に達するスイングスピードである。誰の目にも明らかな魅力であったため、松田はシーズンごとにドラフト有力候補として知られるようになっていった。東都リーグでの通算本塁打は3年秋までで15本。歴代記録は、青山学院大・井口資仁(現ロッテ)の24本。2年の秋には6本打ったことがあっただけに、新記録達成の可能性もあった。
 ところが、松田が新たに主将となった3年時のオフ、2004年12月に複数の部員による不祥事が発覚。亜細亜大は半年間対外試合を自粛することになる。秋は自動的に2部からのスタートとなり、松田は本塁打記録どころか、大学最後のシーズンを前に、実戦から大きく遠ざかるブランクが発生してしまった。
 それまでずっと彼のプレーぶりを見続けてきたことですっかりファンになっていた私は、復帰後の状態が気がかりで仕方がなかった。当時関わっていた野球雑誌でドラフト直前のインタビューが行われることになった際には、別の編集担当がいながら“強権”を発動。無理矢理現場に同行したほどである。そのとき、こちらの素姓を明かす前に、本人の口から「大学に入ってからは“聖域”っていうのに結構載せてもらってましたよね」という言葉が出た時には、涙が出そうなほど感激し、大人気なく「それ、オレが書いたんだよ! 読んでくれてた!?」と興奮してしまったことも、今となってはいい思い出である。
 それはともかく、実際のところ対外試合自粛期間は、松田にとって打撃についていろいろと考えるいい機会になったようだ。大学での最終シーズンも4本塁打を放ち、チームは優勝。入替戦で中央大に勝利して1部復帰を決め、ドラフトでは希望入団枠でソフトバンクに入団した。

◎一撃必殺の打撃を磨き本物のスラッガーとなれ!

 プロ入り後の松田は、次代の主力として期待され、1年目からある程度レギュラー格として起用をされていたため、成績が伴わない間は苦労したようだが、08年頃からようやくその能力の片鱗を見せ始めるようになり、今やWBCの日本代表候補になるまでに成長した。2ストライクに追い込まれてからは極端に小さく構えて粘りの打撃に徹するなど、プロで生き残るためのスタイルチェンジもなされている。
 ただ、亜細亜大当時を知る者にとっては、思い切り振り切って失投をスタンドに放り込む豪快な打撃こそが松田の魅力に思えてならない。今のスタイルは円熟期に向けての通過点とし、これまでに蓄積してきたプロでの経験を生かして、いずれは再び豪快な打撃スタイルに戻ってくれることを「“聖域”キング」として強く望んでいる。そうなれば、近い将来、“おかわりくん”こと中村剛也(西武)を脅かす存在になってくれるに違いない。



文=キビタキビオ/野球のプレーをストップウオッチで測る記事を野球雑誌にて連載つつ編集担当としても活躍。2012年4月からはフリーランスに。現在は『野球太郎』(10月5日創刊)を軸足に活躍中。

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