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【プロ野球・カムバック列伝】今年は松坂大輔(中日)。地獄からの生還を果たしたレジェンドたち

文=藤山剣

【プロ野球・カムバック列伝】今年は松坂大輔(中日)。地獄からの生還を果たしたレジェンドたち
 常人以上の体力を持ち合わせているプロ野球選手たちではあるが、それでも生身の人間。故障が原因で、選手生命を断たれたり、かつての力を出せなくなってしまう例は数え切れないほどある。

 そんな危機からはい上がり、再度活躍した選手に贈られるのがカムバック賞だ。毎年必ず選出されるMVPやベストナインなどと違って、該当する選手がいたときのみ発表される賞で、過去には、セ・リーグ35名、パ・リーグ6名が受賞している(なぜかパ・リーグのほうが、選考基準が厳しいように見えるが……)。

 そのなかで、最終的に「名球会クラス」の実績を残した選手をピックアップしてみたい。

(※カッコ内の球団名は受賞時の所属球団)

マサカリと鉄腕


 投手では、1985年に村田兆治(元ロッテ)、2017年に岩瀬仁紀(元中日)がカムバック賞を受賞し、さらに大記録を達成している。

 村田は、プロ入り11年目となる1981年に19勝8敗の成績で初の最多勝のタイトルを獲得。しかし、翌1982年にヒジを故障し、1983年には腱を移植するトミー・ジョン手術を受けた。1983から1984年はおもにリハビリに費やし、1985年は開幕11連勝を含む17勝5敗と、鮮やかな復活、マサカリ投法健在を強烈に印象づけた。通算勝利数は215勝。

 岩瀬は、1999年のデビューから15年連続50試合以上登板という、前人未到の記録を成し遂げた鉄腕リリーバーだったが、その連投に左腕がついに悲鳴を上げ、2014年以降は成績が低迷。2015年は出場なし、2016年は15試合と、出番を大きく減らしていた。

 しかし2017年は、かつての抑えではなく中継ぎへと仕事場を移し、50試合に登板。カムバック賞に選ばれた。通算1002登板、407セーブはNPB記録。

苦境からの復活を遂げ2000安打を達成した5人


 野手では、1980年に谷沢健一(元中日)と門田博光(元南海ほか)、1981年に藤田平(元阪神)、2002年に前田智徳(元広島)、2004年に小久保裕紀(元巨人ほか)と、5人がどん底から這い上がってカムバック賞を受賞、最終的に2000安打以上を記録している。

 谷沢は、入団当時から抱えていたアキレス腱痛が悪化。1970年のルーキーイヤーから続けていた120試合以上の出場が、1978年には70試合、1979年には11試合と途切れてしまう。しかし、日本酒を使った治療「酒マッサージ」により痛みが和らぎ、1980年には120試合に出場し157安打を記録、カムバック賞を受賞した。通算2062安打。

 豪快なスイングで1971年には打点王を獲得するなど、南海の中軸として活躍していた門田は、1979年のキャンプ中にアキレス腱断裂という大けがを負ってしまう。その年は、おもに代打でわずか19試合の出場にとどまったが、翌1980年には、足の負担軽減のための長打狙いのスタイルがハマり、41本塁打を記録。見事に復活を果たしカムバック賞を受賞した。

 通算2566安打は、張本勲、野村克也、王貞治に次ぐ歴代4位で、本塁打王も3度獲得している。

 1966年の入団以来、阪神の主力選手として活躍していた藤田は、1979年4月、試合中に肉離れを発症し、その年を棒に振ってしまう。それでも翌1980年には復帰し、続く1981年には打率.358で首位打者となり、カムバック賞を受賞した。通算2064安打は、今年の10月に鳥谷敬に抜かれるまで球団最多記録だった。

 前田は、本来は走攻守揃った外野手だったが、1995年に左足のアキレス腱断裂。2001年には右足のアキレス腱も痛めるなど、常に足の状態と向き合いながらのプレーを余儀なくされた。にもかかわらず、2002年には打率.308を記録。2000年が79試合、2001年が27試合と、低迷していた状況からの復活を果たし、カムバック賞を受賞した。通算2119安打を放ち、シーズン打率3割以上を11回記録しているが、意外にも打撃タイトルとは縁がなかった。

 小久保は、ダイエーホークス時代の2003年、オープン戦で本塁へスライディングした際に左膝の靱帯断裂などを負傷。その年はリハビリのみで試合出場は叶わなかった。そこから巨人に移籍した2004年は、シーズン途中から4番に座り打率.314とキャリアハイの数字を記録。本塁打も41本と打棒復活で、カムバック賞を受賞した。通算2041安打、413本塁打。

今シーズンは「平成の怪物」が受賞


 なお、今年のカムバック賞は、中日の松坂大輔が選ばれた。メジャーから帰ってきてソフトバンクに入団したのが2015年。そこから3年間は肩の不調もあり、1軍登板は1試合のみ。2017年オフに戦力外となってしまったが、そんな松坂に手を差し伸べたのが、西武入団時の2軍投手コーチでもあった中日・森繁和監督だった。

 「月1回の登板で、1勝でも2勝でもしてくれたらいい」と、中日の若手投手への影響力込みで迎え入れると、3試合目の登板(4月30日)で初勝利を記録。終わってみれば、11試合に先発し、6勝4敗で防御率3.74と上々の成績を残した。しかも、勝てなかった5試合のうちの3試合は、5回まで投げて自責点2以下。打力のある球団なら、2ケタ勝利に近いところまで迫っていたかもしれない。

 チーム内では、13勝のガルシアに次ぐ勝利数で、笠原祥太郎と並び日本人最多。かつての球威はないものの、カットボールやチェンジアップを駆使して試合を作る松坂の老獪な投球スタイルには、バッターを打ち取るためのヒントがいくつも隠れているはずだ。

 今季の防御率がリーグワーストだった中日の投手陣も、松坂の投球から少しでも学びとることができれば、浮上のきっかけを見い出せるのではないだろうか。

文=藤山剣(ふじやま・けん)

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