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阪神タイガース関本賢太郎〜脇役に徹したプロ野球人生〜

 晩秋を迎えて、一日一日と夕暮れが早くなっているこの時期。プロ野球界では引退選手が連日発表され、肌寒い季節と相まって、何ともいえない寂しさを感じてしまう時期でもある。

 特に今年は大物選手がグラウンドを去り、先週末には高橋由伸と井端弘和(ともに巨人)が、同時に現役引退する運びとなってしまった。

 この2人と同じセ・リーグで、長きに渡ってチームの"いぶし銀"的な存在として活躍していたのが、阪神の関本賢太郎だ。

 CS(クライマックスシリーズ)1stステージ第3戦、関本賢太郎には打席がまわることはなく、ゲームセットの瞬間はネクストバッターズボックスで迎えた。

 関本の19年間に及ぶプロ野球人生は、この最後の場面に象徴されるような、常に2番手を行く脇役としてのプロ野球人生であったように思う。


大型内野手として期待され阪神タイガースに入団


 1996年のドラフト会議で阪神に2位指名された関本は、ホームラン王と2000安打が目標と語っていた。

 関本が入団して間もないファーム時代のことである。途中出場した試合の9回裏、2死満塁で打席が回ってきた。関本の放った打球は、鳴尾浜球場のレフト後方に張られた防御ネットに直撃、劇的なサヨナラ満塁ホームランになった。

 当時2軍監督だった岡田彰布監督が、関本を満面の笑みで迎えた光景が、今でも筆者の脳裏に焼きついている。

 しかし、その後関本は、自らが長距離砲でないことをうすうす感じ始める。

「プロの世界で生き抜くスタイルを確立しろ!」

 いみじくも、関本の満塁ホームランを誰よりも喜んだ岡田監督の言葉であった。

プロで勝負する自分のスタイルへ


 それ以降、関本はバットを短く持ちコンパクトなスイングに徹する。また天理高校時代は無縁であったバント練習にも取り組んだ。

 守備においても内野ならどこでも守れるよう、複数ポジションの練習を怠らなかった。

 後に関本は、2008年の楽天戦で1試合4連続犠打のプロ野球タイ記録を達成。二塁手としては連続守備機会無失策セリーグ記録を804と塗り替えた。

関本の前には、常にライバルたちが立ちはだかった。


 ドラフトで同期のスラッガー・濱中治。セカンドを争った藤本敦士。移籍組の平野恵一や新井貴浩。ライバルたちとの戦いに必ずしも敗れたわけではなかった。しかし、常にレギュラーポジションを保障されることも無かった。

 2015年10月4日、阪神タイガースレギュラーシーズン最終戦は、関本の引退試合となった。過去のほとんどの引退試合は、常にレギュラーを張った選手に与えられた特権であるが、関本の場合は“準”レギュラーで戦った19年間であった。

 甲子園球場のファンは、常にレギュラーで活躍した選手以上に関本の引退を惜しみ、泣いた。

 記憶に残る選手が、また一人甲子園から去って行った。


文=まろ麻呂
子供のころから愛してやまない野球を、企業コンサルタントに携わった経験を活かして鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。

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