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キューバ野球紀行(後編)〜アメリカとの国交回復、レンタル制度、WBC…キューバ野球の未来はどこへ向かう〜

1年間“働き続ける”デスパイネ

 カマグエイから列車に乗り3時間、プレーオフ第3戦の行われるシエゴデアビラに到着した。デスパイネ(ロッテ)が所属するグランマは、ホームでの2連戦を1勝1敗で終えて、ここシエゴでの3連戦を迎える。駅から延びる2本の線路に囲まれた小さな町で、30分も歩けば市街地の端から端に抜けてしまう。球場は街の西、線路を越えて少し行ったところにあり、ここを過ぎれば、馬が草を食む風景が広がる。

 翌日に予定されていたデーゲームは、開場後すぐに降ってきた雨のため中止となった。大雨の中、1時間も待たされたスタンドの観客は、それでも場内に流れるサンバのリズムに身をゆだね、プレーオフのお祭り気分を十分に堪能していた。


 その翌日も天気は微妙だったが、試合開始の3時間前になると、5600人収容の内野スタンドはすでに立錐の余地もなくなっていた。試合が始まる頃には、空はすっかり晴れ渡り、試合が進むにつれ、赤い夕闇がスタジアムを覆っていった。

 ロッテの主砲・デスパイネは、ビジターチーム・グランマの4番として打席に立ったが、私の目の前で安打を放つことはなかった。「大丈夫、問題ない」と日本でのシーズンでの活躍を約束はしてくれたが、指名打者とはいえ、日本とキューバでの両シーズンを戦い抜くという「重労働」を彼らは課されているのだ。


 試合は、シエゴの先発、イスメル・ヒメネスがグランマ打線を3安打に封じ込め、7奪三振の完封勝利を飾った。打線も3本のホームランで地元チーム・シエゴがグランマを圧倒。薄暗いカクテル光線の中、外野フェンスの向こうの闇に消えてゆく高いフライを打席で見送っていた打者の背中に、キューバのパワーベースボールがいまだ健在であることを感じた。

 シエゴデアビラでの試合の数日後、私はシエンフエゴスという町にいた。革命の英雄と同じ名を持つ、この町のチームもまた古くからの名門で、亡命キューバ人の間で一番人気なのだという。母国を捨てた彼らにとっても、リガ・ナシオナルは「忘じがたきもの」で、この季節、キューバ人の朝はアメリカに住む同朋との野球談議で始まる。

 球場では整備が行われていた。練習が昼から行われるという。この町の名門チームは、プレーオフどころか、上位半分が進むことのできる後期リーグにさえ、今季は参加できなかった。

「しかたねえよ。みんなアメリカへ行っちまったからな。あいつらそれで大金を手にしているよ」

 ため息をつきながら、球団スタッフは言う。主力選手の11人も姿を消したこのチームは、「2軍」でシーズンに臨まざるをえなかった。私をスタンドの最上階の一室に案内したその男は、段ボール箱からユニフォームを取り出し、にやりと笑った。

「60ドルでどうだい」

 シエンフエゴスから、乗合タクシーに乗ると、3時間もしないうちにハバナへ戻る。途中、マタンサス州に入ると、最初に見たあのワニのマークを至る所で見た。その下には、「目指せ、チャンピオン」の文字があった。残念ながら、マタンサスは、2勝3敗でホームに戻ったところで延長戦の末、燃え尽きた。最後の最後での大量失点にマタンサスの監督がベンチで選手を怒鳴りつけるシーンは、翌朝、キューバ国民の一番の話題になっていた。その監督とは前回WBCで来日したビクトル・メサ。オーバーアクションが日本でも話題になった彼は、キューバでもまた「闘将」であった。

霞みつつある「赤い稲妻」の地位

「ペロータを見にキューバに来たんなら、10年遅いな。あの頃が一番よかったよ。今はもういい選手は、みんなアメリカへ行っちまったからな」

 最初に観戦したマタンサスでの試合、ハバナへの車を探していたターミナルでタクシーの運転手は私にこう声をかけてきた。

 「あの頃」の2004年、各国がプロ選手をそろえて臨んだアテネ五輪で、キューバは見事に金メダルに輝いた。「最強アマ」軍団が倒すべき相手は、トップ選手を出し惜しみして本大会にすら出場し損ねた「敵国」アメリカだけとなった。

 しかし、その後、トップ選手の亡命が相次ぎ、今では、亡命選手だけで「最強のキューバ代表チーム」が組めるような有様になってしまった。今にして思えば、金メダルを獲った後、スタジアムの入り口で、記念すべき自らのユニフォームをたたき売りしていた選手の姿が現在のキューバ野球を予見させたといえるだろう。

 MLBがようやく重い腰を上げ、トップ選手でアメリカ代表を組んだ2006年のWBCでは、なんとか準決勝に進んだものの、キューバチームは明らかに小粒になっていた。プロアマ問わず、真の世界一を争う場が現れた時、皮肉なことにキューバは真の代表チームを組めなくなっていた。

 これ以降、トッププロにより組織された各国代表の前にキューバは後塵を拝することになる。2006年の第1回、そして2009年の第2回WBCでは日本、2008年の北京五輪では韓国に金メダルを奪われ、2013年の第3回WBCでは、伏兵のオランダに決勝トーナメント進出さえ阻まれてしまう。

キューバ野球の未来

 今回、目にしたキューバ野球はマイナートップレベルの域を出ないものだった。トップ選手の相次ぐ流出は、確実に国内リーグのレベルを落としている。それを防ぐための方策としての政府を介した「レンタル」制度も、選手にとっては、オフのない、身体を消耗する状況を作り出しているかもしれないことは、「グリエル騒動」が示している。

 この先、キューバ野球はどうなっていくのだろう。アメリカとの国交が回復されれば、ドミニカをはじめとする他のラテンアメリカ諸国と同じように、メジャーリーグの草刈り場になってしまうのだろうか。あるいは、レギュラーシーズンだけで90試合という最大のウインターリーグという「独立」を保っていくのだろうか。

 旅の最後は、キューバを最も愛したアメリカ人、アーネスト・ヘミングウェイの旧宅に足を運んだ。ここで、この文豪は、自国リーグを「第3のメジャーリーグ」に仕立て上げようと、アメリカ野球に戦いを挑んだ、メキシコの大立者、ホルヘ・パスケルと酒を酌み交わしたという。


 陽が傾き、影が長くなったこの屋敷の庭で、少年たちにノックを打っていた老人がいた。その様子を見ていた私に彼は、「代わりに打ってくれ」と、バットとボールを差し出してきた。チームの名は、「GIGI」という。ヘミングウェイが、釣りに行くたび、その船を漕いだ船頭の名、「グレゴリウス」の愛称に由来する。

 ノックに続いて、バッティングピッチャーをやることになった。「こいつにだけは、手加減しないでくれ」という老人の指し示す先には、他の少年よりひと回り大きい少年がバットを構えていた。私が少し力を入れて投げたボールをしっかりととらえ、きれいなライナーでライト前に運んだ。



 10年後、彼の姿はどこにあるのだろう。メジャーリーグだろうか、日本だろうか、あるいはキューバなのだろうか。そんなことを考えながら、ハバナからのフライトに乗り込んだ。


■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)

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