子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考えるコーナーの第十二回目。野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「父と子のキャッチボール」について語ります。
「自分の子どもとキャッチボールできる日が来たらさぞや嬉しいだろうなぁ〜」
独身時代、友人らとお酒を飲みながら、将来を語るうち、いつしかそんな話題に流れ着いたりしたものだ。
「嬉しいだろうな〜。もう、そんなシーンを想像しただけで、今からジーンとしちゃうね」
「映画『フィールド・オブ・ドリームス』の親子キャッチボールのシーン見て、おれも将来、子どもとやりたいな〜って、すごく思ったなー」
「『パパの球、すごいね〜! ぼくの手、真っ赤になっちゃったよ〜!』なんて、かわいいわが子にいわれちゃったりしてな」
「そうそう、その辺はきちんと父親の威厳というものを示しとかんと」
その時点では、誰ひとり、子どももいなけりゃ、結婚すらしていない。それなのに、皆、やたらと浮かれ、デレデレしながら盛り上がるテーマだった気がする。
面白いなと思ったのは、「親子キャッチボールに憧れているのは野球部出身者に限らない」こと。サッカー部出身であっても、帰宅部出身であっても、まだ見ぬわが子とのキャッチボールに思いを馳せる度合いは野球経験者とさほど変わらなかったりする。
「おまえなんかずっとサッカーやってたんだから、キャッチボールじゃなく、パスやドルブルを一緒にしたいって思う方が自然なんちゃうん?」
「いや、そこはキャッチボールなんよな、憧れるのは」
「絵になるのはやっぱキャッチボールか」
「これはもう日本の父と息子の定番儀式みたいなもんでしょ」
などと、あくまでもキャッチボールにこだわりを見せる。
ただし、野球経験が乏しいと、「果たして、わが子ときちんとキャッチボールができるのか?」といった心配も湧き上がるようで、「『お父さん、下手すぎるよ〜』なんていわれたらどうしよう」と、将来への不安を口にする者も。
「おれ、小さい頃から受験勉強に追われて、ろくすっぽスポーツやってこなかったから、子どもとのキャッチボールに憧れはすごくあるんだけど、うまくやれる自信はないんだよね…。たぶん俺みたいな人、世の中に結構いると思うよ。仕事帰りに通える『お父さんのためのキャッチボール教室』なんてあったら、俺、絶対に申し込むと思うもん」
ちなみに彼は現在、二児の父。生まれたのはいずれも野球に一切興味を示さない女の子で、本人いわく「残念なような、ほっとしたような」心境だとか。
「早くこいつとキャッチボールしたいな〜!」
約15年前、30歳で長男ゆうたろうが生まれた時、新生児室で泣きわめくわが子をガラス越しにみながら、そんな思いが頭を駆け巡ったことをよく覚えている。
出産祝いにいただいたプレイジムのボールの部分を寝ながらスナップをきかせてクルクル回しているのを目撃しては「こいつ、将来いいカーブ投げそうだぞ!」と興奮し、頭上のブランコの部分を力強くアタックしているのを見ては、「お! 正統派のオーバースロータイプか!」と色めきだった。
やわらかいゴムでできた、ぷにぷにボールでキャッチボールらしきことを初めてしたのは2歳の終わりごろだったろうか。
場所はマンションの駐車場で、距離は3、4メートル程度。キャッチボールと言っても、まともにキャッチすることはできないので、こちらはボールをゆるく転がしてあげるだけ。しかし、投げ返してくるボールは思いのほか勢いがよかった。嬉しくなった私は、即座に携帯電話を手に取り「こいつ、肩強いぞ! まだ、なにも教えてないのに、きちんとヒジが上がって、さまになってる!」と妻に報告を入れたが、「まぁ親バカ」と一蹴された。
親子キャッチボール成立を阻むのはだいたいが「キャッチ」の部分。「投げる」ことよりも「ボールを捕る」という行為に手こずる子どものほうが圧倒的に多いようで、わが長男もそのタイプだった。
結局、ゆうたろうがキャッチボールの「キャッチ」らしきことできるようになったのは1年生になった頃。スポーツ店で購入したビニール製のグラブでは捕れないが、素手でなら捕れるという段階を経て、2年生になった頃にようやく、グラブで少しずつ捕れるようになった。最初は逆シングルでしか捕れず、こちらが捕れそうな場所へわざわざ選んで投げている状態が続いたが、2年生の夏過ぎになると、そんな気遣いは無用となり、こちらが普通に投げた球を「ごく普通に」捕れるようになっていた。
(あれ? いつのまにかなんの遠慮もなしに投げても、ちゃんと捕れるようになってる…!)
新生児室をガラス越しに見ていたあの日から約8年。ついに親子キャッチボールが成立した。
「服部さん、いいね〜! 息子とキャッチボールなんて最高だね〜!」
公園のそばを通り過ぎていく、知り合いにそんな言葉をかけられたりすると、なんとも嬉しい気分になった。現在、住んでいるマンションは、私自身、小学生時代に住んでいたマンションであり、私の幼少時代を知る年配の住民も少なくない。そのため、「まぁ! 健ちゃんが息子さんとキャッチボールしてる! 健ちゃんが小さい頃、この公園でお父さんとキャッチボールしてたの私、覚えてるよ! 私は3代にわたる親子キャッチボールを目撃できたのね!」と感慨深いコメントをいただくケースもあった。
ちなみに幼稚園の年長で地元の少年野球チームに入団した次男は1年生になった頃には、塁間レベルのキャッチボールが普通にできるようになっていた。兄よりも早い時期にチームに入ったこともあるだろうが、2学年上の兄や兄の友達に混じって野球をしていた影響も大きかったように思う。手加減なく投げ込まれる、2学年上のお兄さんたちのボール。それをあざだらけになりながら、食らいついていくうちに自然とキャッチボールができるようになっていたのは下の子ならではの特権か。長男のキャッチボール力を主に育んだのは私なのだろうが、次男のキャッチボール力を育成したのは、兄貴とその仲間たちといっていい。
やっと成立するようになった親子キャッチボール。しかし、その幸福な時間はそれほど長くは続かなかった。
キャッチボールが成立し始めた当初は、子どもらの遠投力も30メートル程度に過ぎず、キャッチボールの遠投モードに入っても、ノーバウンドで投げ返すことができた。私自身、高校時代に利き腕の右ヒジを壊し、長男が3歳の時には、その後遺症で二度目の手術をするはめになったりしたのだが、キャッチボールの距離がこの程度のうちは、左投げを交えたり、利き腕で相当セーブしながら投げても、子どもたち以上のボールを投げることができた。
「父ちゃん、さすが元高校球児だね〜! やっぱりいいボール投げるね〜!」などと言われると、父の威厳を保てたようで内心鼻高々だったし、遠投モードで、先に息子らのボールがワンバウンドし始めると、「まだまだだな〜お前らも!」などとハッパをかけたものだった。
しかし息子たちの遠投力は成長に合わせ、毎年、伸びていく。平均すると、1年に5メートルから10メートルずつ伸びていく。対する私の肩は、年々、衰えていく一方。利き腕などはそもそもがポンコツなのに、そこに「加齢による衰え」が拍車をかけていく。40を過ぎると、いわゆる「四十肩」なのか、手を挙げただけで両肩に痛みが走るようになり、頼みの綱の左投げまでもが、機能しなくなっていく。
6年生になったゆうたろうの遠投力が60メートルを超えたあたりから、遠投モードに入ると、私の投げるボールの方が先に地面に落ちるようになった。以前は「もっと後ろに下がれよ〜!」と言っていたのに、いつしか「え、あいつ、まだ後ろに下がれるんか…?」と思うようになっている自分に気づく。
ゆうたろうに初めて口頭で「もうそれ以上下がらんといて。もうおれ無理やから」と告げるはめになった時は、子どもに抜かれたという嬉しさと、対等のキャッチボールがついにできなくなったという寂しさが同時に襲ってきた。
その夜、子どもらが寝た後、妻が「実はね…」と前置きしながら、話を切り出した。
「『今日、親子キャッチボールしたんでしょ? どうだった?』って、ゆうたろうに聞いたら、『わが親父も衰えたもんだよ』って言ってたよ」
「嬉しそうだった?」
「いや、どちらかというと寂しそうだった」
「そっかぁ」
今から約30年以上前、今はなき父と遠投モードで勝ってしまったときのことを思い出した。
(そういえばあの時、自分も、嬉しいというよりは、どこか寂しい思いの方がこみ上げてきたっけな…)
時代は繰り返されていく。そういうことなのだろう。
そんなゆうたろうも中3となった今では、90メートル以上を投げられるようになった。そんな彼と遠投で張り合おうなんていう気はさらさらなく、遠投モードのときはグラブを外すかわりに、ノックバットを手にし、外野飛球を打つ要領で数十メートル先の長男の元へボールを送り届けている。はたから見たら、外野ノックを受けている息子と、ノックを打つ父親にしか映っていないだろうが、これが現在の我が家の「キャッチボールの遠投モード」になりつつある。
思い切りバットで打った距離と同等の距離を投げ返してくることができる息子がどこかうらやましくもあり、嬉しくもある。息子にかなわなくなった寂しさは今はもう、ない。