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MLBでも変わることなく活躍する田中将大を支えるのは私生活から? ちょっと「人間・田中将大」をのぞいてみよう!

 投げるたびに安定感を増し、ますます勢いに乗る田中将大。これまでこの連載では、アマチュア時代、プロ入り後の成長過程における田中将大のひみつ、そして体の使い方や投球フォームのひみつを掘り下げ、「田中将大はなぜスゴイのか!?」を探ってきた。最終回となる本稿では、試合以外でのプライベートなひみつを探ることで、「人間・田中将大」の魅力とパワーの原泉を丸裸にしてみたい。

ひみつ19:ももクロ大好き・田中将大。Pabo……誰それ?


 もはや説明不要といってもいいほど認知されている、田中将大の「ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)」好き。練習用グラブにはももクロのそれぞれのメンバーカラーである緑、ピンク、赤、黄、紫の5色をカラーリング。入場曲でも楽天時代終盤はももクロの曲が定番で、MLBデビュー戦でも入場曲はももクロ。しかも、まだ発売されていない未発表曲(「My Dear Fellow」)だったことで、野球ファンだけでなく、ももクロファンまでも驚かせてしまった。

 これほどまで、ももクロ好きな田中。ところが、最初に好きになったアイドルはモーニング娘。で、推しメン(一番好きなメンバー)は安倍なつみだった。そこからAKB48へと心移りし、推しメンは高橋みなみに。

 では、ももクロでは誰が推しメンなのか? と思いきや、自身の影響力の大きさも考慮してか「箱推し」(特定のメンバーではなくグループ全体が好き)であることをTwitterなどで公言。田中自身の限定グッズなどでももクロを表現する際も、常に5色を配しているあたりも、田中らしいバランス感覚と言えるだろう。



 ちなみに妻である里田まいが所属していた「Pabo」や「カントリー娘。」については……興味がなかったという。

ひみつ20:里田まいとのなれそめは、毎年恒例のあの番組


 では、田中と里田まいが付き合い始めるキッカケとは何だったのか? 結論からいえば、2010年の正月特番「プロ野球オールスタースポーツフェスティバル」(日本テレビ系)だった。2009年12月3日に行われた番組収録に、田中は楽天代表として出場。そして、司会を務めていたのが里田まいだったのだ。この番組共演をきっかけに親交を深めた2人は、2010年夏頃になって交際をスタートさせたという。

ひみつ21:実は結婚願望が強く、若いうちに結婚したかった


 交際をスタートさせた田中と里田は、2年後の2012年3月20日に婚姻届を提出した。田中24歳、里田27歳(28歳直前)の春だった。

 今の時代、24歳で結婚というと早婚の部類に入る。だが、田中にしてみれば理想よりも2年遅い結婚だった。TBS系スポーツ番組「S☆1」に出演したルーキーイヤーの2007年、「22歳くらいには結婚したい」という発言をしていたのだ。なぜ、22歳だったのか。番組内で田中は、次のようなコメントを残している。

「やっぱり、子どもに、自分が野球をやっている姿を見てもらいたいなっていう思いがあって……。しかも全盛期の頃に見て、目に焼き付けてほしいなっていうのはありますね」

 田中にしてみれば、昨シーズンやまさに今の勇姿こそ、まだ見ぬ子どもに見せたかった姿かもしれない。



ひみつ22:子どもの頃は巨人ファン


 「子ども」といえば、田中自身がまだ子どもだった頃、好きな球団は巨人だった。こちらもTBS系スポーツ番組「S☆1」での発言で、家族が巨人ファンだったこと、学校の友達も巨人ファンが多かったことから、巨人を応援するようになっていたことを明かしている。日本でのドラフト時も、そして今回のメジャー移籍の際も「球団のこだわりはありません。どこでも行きます!」と言っていた田中の姿を思うと、少し意外な感じもしてしまう。

 ちなみに、この時の聞き手が「ミスター・パーフェクト」こと、元巨人の槙原寛己氏。槙原氏から「印象に残っている巨人の試合は?」という質問をされ、「う〜ん……槙原さんの完全試合とか……」という大人のコメント力を発揮しているのが面白い。

ひみつ23:入団当初はお小遣い制だった!


 以前、広島の前田健太がテレビ番組で「お小遣い月3万円」であることを告白し、話題になった。「3万円」という金額もさることがなら、やはり億を稼ぎ、豪気に金を使いまくるイメージのあるプロ野球選手が「お小遣い制」というフレーズにインパクトがあったのだろう。

 実は田中も、楽天入団当初はお小遣い制だった、というのはあまり知られていない。当時、田中は給料を全て両親に管理してもらい、「お小遣い」をもらってやり繰りしていたという。そして、お小遣い制にもかかわらず、初任給では父に腕時計を、母には財布を買うという、見事なまでの親孝行ぶりも発揮している。

 お小遣いをやり繰りしていた男が、後にヤンキースと7年総額1億5500万ドル(約161億円)で契約を結び、ニューヨークへの引っ越しにボーイング787型機を5000万円自腹でチャーターしてしまうのだから、人生とはわからないものである。

ひみつ24:野村克也との不思議な因縁


 田中将大が、楽天のユニフォーム姿で最後にボールを投げた相手をご存知だろうか? 正解は、野村克也元監督。2013年の12月31日、TBS系『大晦日スポーツ祭り!KYOKUGEN2013』で共演を果たした2人は18.44メートルの距離で対峙。田中から野村氏のミットへ「日本最後の一球」が投じられたのだ。

 思えば、不思議な縁で結ばれた2人である。高校時代、駒澤大野球部の小椋正博監督から野村氏の著書「野村ノート」を読むように勧められた田中はこれを愛読。入団前から、野村野球に対する下地ができていたのだ。

 楽天入団後、1年目から積極的に試合で使ってもらえたのも、チーム事情があるにせよ、「田中を球界のエースにしなければ」という野村氏の決意も大きかったはず。また、「マー君 神の子 不思議な子」や「稲尾和久(元西鉄)の再来」と評する等、世間の注目が集まるフレーズで球界のスターに押し上げてくれたのも野村氏だ。

 田中が常にこだわっているのが外角低めへのストレート。これこそ、野村監督が「投手の原点」として田中に徹底させたことだった。日本よりも外にボール1つストライクゾーンが広いとされるMLBでこそ、この外角低めへの精度が功を奏するはずだ。

 田中がヤンキースで選んだ背番号は「19」。この背番号を一番喜んでいるのは、現役時代、そして楽天監督時代にこの「19」を背負い続けた野村氏なのではないだろうか。


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。ツイッター/@oguman1977

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