『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
今回の担当ライターは当初はレギュラーとして担当していただいていたキビタキビオさんです! 牧田和久投手(西武)や新井良太選手(阪神)、前回は大隣憲司投手(ソフトバンク)を紹介して頂きましたが、今回は、ケガ、トレードを経て、復活を目指すサウスポーです!
2004年10月16日の社会人日本選手権・関東二次予選。私は当時、ドラフト1位候補として注目されていたシダックスの野間口貴彦(現巨人)を見ようと、府中市民球場を訪れていた。
その時にブルペンで投球練習をしていたときから気になっていたのが、対戦相手だった日産自動車の左腕・青木高広(現巨人)だ。以前にも、この『俺はアイツを知ってるぜっ!』において、野間口目当てでシダックスの試合に出向いて、武田勝(日本ハム)を見たことを記事にしたことがあるが、まあ、同じようなケースである。
ハッキリ言ってしまうと、ドラフト1位候補の投手の場合、基本的にはプロには十分行けるだけの資質があることは誰が見ても明らかなことが多い。
それでも球場に行く理由? そりゃあ、「その選手が本当にドラ1に見合っているか?」ということを、一応自分の目でチェックしておくということ。そして、業務上、雑誌に掲載するときに備えてプレー写真を撮影しておくことがメインとなる。逆に言えば、それさえ済んでしまえば、最低限の仕事は果たしたことになるわけだ。
となれば、あとは心置きなく他の選手のプレーぶりをチェックできるというもの。特に社会人には、高校、大学時代にすでに活躍済みの選手が多いので、そういった選手がどのように成長、または変化しているかを確認するにはいい機会である。そして、学生時代無名だった選手については、初めて見るプレーぶりが楽しみでもある。
県立岐阜商高から愛知大を経て日産自動車に入社していた青木は、私にとって初めて見る投手だった。ブルペンでダイナミックなフォームで投げている姿が目に止まり、視線がそちらに動くようになっていた。
今、“ダイナミック”と軽く書いたが、スルーできなかった人、いたのではないだろうか?
そりゃ、そうだろう。青木が06年秋の大学生・社会人ドラフト会議で広島東洋カープから4巡目指名されて入団した際の触れ込みは「出どころの見にくい左腕」だった。
ボールを持っている左腕を自分の胸のあたりに小さく畳むテークバックは、青木ならではの持ち味のひとつであり、そのフォームによって、特に06年は高崎健太郎(現DeNA)ともに日産自動車の主戦を担い、都市対抗では先発にリリーフにと大車輪の登板で準優勝に貢献している。
プロ入り前から青木のイメージを星野伸之(元オリックス他)にたとえて紹介されている記事を読んだ記憶があるドラフトマニアは多いはずだ。
だが、この時の青木は違った。登板した際に撮影した動画をご覧頂ければ一目瞭然だが、テークバックはヒジを軽く曲げた状態を維持したまま二塁ベース方向に腕を伸ばし、そのあと一度担ぐようににしてから投げ下ろすようなフォームだったのである。
だから、この時から1年以上後になって、マウンドで投げている青木のテークバックが極端に小さくなった姿を見た時の私の驚きといったらとんでもないものだった。最初は別のピッチャーだと思ったほどである。
そして、変わったのはテークバックの小ささではなかった。投げているボールそのものも、指のかかりが大変良くなり、ストレートは以前よりもピッと手元で伸びるようになり、なおかつ球筋も安定していた。
大学出の社会人投手でフォームをこれほど大きく改造するとなれば、あくまで推測だが「これでダメなら…」という選手生命を賭けた決心であったに違いない、と思った。彼はその賭けに勝ち、見事プロへステップするチャンスをつかみ取ったのである。
とはいえ、広島でのスタートを切った青木は、苦労の連続だった。社会人の即戦力左腕としてローテーション入りしたまでは良かったが、途中まで好投してゲームを作りながら、リリーフが打たれるなどして、勝ちのつかない試合が続く。結局、1年目の07年は5勝11敗と大きく負け越してしまった。
そして翌08年以降はチーム事情や自身の不調もあって、リリーフやローテーションの谷間に先発する便利屋的な起用のされ方となっていく。そして、11年にはついにリリーフに専念することとなった。
するとどうだろう。青木は、社会人時代に不退転の決意で改造を試みたものと、私が勝手に思い込んでいたフォームをさらにいじってサイドスローにしてしまったいたのだ!!
投手が腕を下げることは、ある意味、プロで生き残っていくためには必要な手段であるとはいえ、こうも簡単に変えてしまうとは…。社会人時代からトータルするとあまりの変貌ぶりに、青木の選手像が正直、見えなくなったというのが本音である。
彼は生き残るためなら何でも貪欲に挑戦するタイプなのか?
あるいは、割りと深く考えずにフォームを変えてしまえる感覚派か?
残念ながら、本人に面と向かったことがないので、その真意は確認できていない。過去のインタビュー記事などを見る限り、社会人時代のフォーム改造は、当時日産自動車の監督だった久保恭久氏のアドバイスによるものであったようだが、プロ入り後も色々とマイナーチェンジはしていたようである。
いずれにせよ、思い切ったサイドスローへの転向だったが、このフォーム改造がまた当たってしまうことになる。青木は広島の継投パターンに完全に組み込まれることになり、この年76試合に登板する活躍をみせたのであった。
そして、時は移って今年のプロ野球が開幕してすぐの4月28日。広島と巨人の間で、ひとつのトレードの発表があった。青木と小野淳平による一対一の交換で、青木は巨人に移籍することになったのである。
ヒザの手術のために、前年の12年のシーズン棒に振っていた青木だが、今年はファームで登板を重ねていた矢先の話である。巨人という、より競争の激しいチームに移ることになった青木の心境たるや、一体いかがなものであるだろうか。
そんなことを考えながら、ふと思った。これも勝手な推測に過ぎないが、ひょっとしたら彼は生き残りをかけて、またなにかひと味スタイルを変えるのではなかろうか? と。これまで、2度驚かされたこともあってか、今度はこちらが期待するようになってしまっていた。
とはいえ、投手たるもの、一度腕を下げたら再び上げるのは正直難しい。以前、巨人OBの解説者である鹿取義隆氏は青木のフォームについて「ここまで下げたら、これ以上やりようがない。これでダメになったらもう後が無い」と話していたのが思い出された。
しかし、これまでのフォーム改造は、いつも後が無い状態で刊行し、生き残ってきた投手でもある。行き着くところまで来た青木が、巨人でどのような“悪あがき”を見せてくれるのか? ぜひ、最後まで見守りたいと思う。
そして、本当にモデルチェンジして、見事に結果も残した暁には、彼の「フォーム改造記」をテーマに取材の企画をしたいと思う。そのためにも、密かに期待している。