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8年で5回の優勝を支えたスーパーサブ・古城茂幸の強さ

ハートの強さは超一流!


「来年からは、もう古城がいないんだなぁ…」

 先日、学生時代の友人2人とお酒を酌み交わした。筆者を含む全員がジャイアンツファン。話題はいつしかしんみりモードに展開していった。

「なんともいえぬ寂しさが募るね」
「たしかに。生え抜きでもないし、巨人でプレーした年数だってそんなに長いわけじゃないのにな」
「現役生活16年で、日本ハムと巨人が8年ずつか…」

 1997年秋のドラフトで日本ハムの5位指名を受け、プロの世界に足を踏みいれた古城茂幸。日本ハムでの最多出場試合数は62試合とレギュラーの座は遠く、岡島秀樹(アスレチックスFA)との1対2のトレードで實松一成とともに巨人へやってきたのは2006年のシーズン開幕直前のことだった。

「守備の人っていう振れ込みで入ってきたのに、思ったより打つからびっくりしたんだよね」
「そうそう。チャンスに強くてな。『なんだ、古城ってめちゃくちゃ使える男じゃん! 日本ハムさん、ありがとう!』って感謝したの覚えてるよ」

 2008年にはシーズン34本の安打中2本がサヨナラ打。2011年8月3日には、当時の阪神の絶対的守護神・藤川球児(カブス)からサヨナラホームランも記録している。成績の割にはお立ち台に上がる率の高い「勝負強い」選手だったという印象が強い。

「今、通算成績見てるんだけど、『あれ? こんだけしか打ってなかったの?』って感じなんだよな」

 スマートフォンを取り出し、友人の一人が古城の生涯成績を検索していた。通算打率.225、9本塁打、88打点、264安打。その数字以上に打っていたかのような印象はその場にいた全員が抱いていた。

「通算9本塁打のうちの1本があの藤川から打ったサヨナラ弾か…」
「記録よりも記憶に残る選手ってやつだね」
「記憶に残ると言えば…、なんか大きなポカをやらかしてる印象も強くない? 大事な試合で走塁ミスを犯したり、エラーしたり…」
「そうそう! でもその大きなポカをやらかした後に自分のバットで取り返してる印象もすごく強くて」
「ハートが強いんだよ。古城のプレー見てて、『失敗してしまってもあとで取り返せばいいんだよな』って思わされること何度もあったもん」
「おれも、古城からは人生の極意を教わったような気持ちになったことが何度もあったなぁ…」

 ある日のヒーローインタビューで古城が口にした「このへこたれない性格は両親からもらった」というコメントが忘れられない。心の強さは間違いなく「超一流」だった。

優勝に不可欠だった超スーパーサブ


 そして古城を語る上ではずせないのが、その卓越したユーティリティーぶりだ。内野ならどこでも守れる上、代走、代打もこなせる。レギュラー陣が不調に陥ったり、故障を負ったりした際にはスタメンに名を連ねる力量もある。巨人の内野陣に不測の事態が起こっても、戦力が大きく落ち込まなかったのは古城の存在があればこそだった。

「数字を見ると年間平均70試合程度の出場なんだけど、この70試合という絶妙な出番数がジャイアンツを裏からしっかり支えていたのは間違いないよな」
「古城がいたから、レギュラー陣の故障にもあたふたすることがなかったし、思い切って若手を抜擢することだってできたんじゃない?」

 古城がジャイアンツに在籍していた8年間、巨人には不動の二塁手が存在しなかった。年度別の最多先発出場の顔ぶれは、木村拓也、脇谷亮太、藤村大介、寺内崇幸の4名。古城の名は1シーズンたりとも出てこない。

 そういった事実を鑑みると、安住の地がない、ただの便利屋に思われがちだが、古城の場合は『居場所がないように映るスーパーサブ』という名のオンリーワンの居場所を毎年確保していたような気がしてならない。監督の立場からすれば、勝利を手にするために、ベンチに必ず入れておきたい選手の一人だっただろう。在籍8年間で巨人は5度のリーグ優勝。しかし、古城の存在抜きでこの高いV率が達成できたとは到底思えない。

原監督が色紙にしたためた言葉とは


 今シーズンは故障に泣かされ、一軍出場試合数わずか3試合に終わった古城。10月3日のゲーム後におこなわれた引退セレモニーが現役最後の雄姿となった。

「巨人における、外様の非レギュラー選手の引退セレモニーなんて記憶になかったから、びっくりしたよ」
「それだけ古城の存在はでかかったということだよな」
「引退セレモニーをやってもらえたことが古城のすごさを一番物語ってるかもしれない…」

 テーブルの3人は焼酎を片手に同時にうなずいていた。

 原辰徳監督は「類まれな闘争心があり、非常に器用。その中で意外性もある、印象に残るプレーヤー。若い存在が育ったのは彼の存在が大きかった」と功績を称えた。

 引退セレモニーの日、原監督は色紙を古城に手渡した。そこには次のような言葉がしたためられていた。

〈振り向けば…困った時の…ありがとう〉

 この言葉に古城のプロにおける存在価値がすべてこめられているといっても過言ではない。


文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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