「野武士軍団」としてパ・リーグに君臨した西鉄時代から数えて、リーグ優勝21回、日本一13回と、輝かしい歴史に彩られた埼玉西武ライオンズ。
黄金時代を築き、多くの名選手が生まれたことで、あることが起こった。「47」は左のエース、「3」は強打のファーストというように、背番号に選手のプレースタイルが刷り込まれたのだ。
そこで改めて、どんな選手がどの番号をつけていたのかを振り返ってみたい。
郭泰源・松坂大輔・涌井秀章の「18」を筆頭に、西口文也の「13」、東尾修の「21」、渡辺久信の「41」、工藤公康の「47」など、西武にはエースナンバーと言える背番号がゴロゴロ出てくる。
松坂と涌井以外は、その番号を10年以上背負っていたのだから、印象に残るのも当然と言えば当然。だからこそ、これらの番号を与えられた若手が出てくるだけで、ファンはワクワクするのである。
それぞれの番号の現在だが、「21」は十亀剣、「18」と「41」は、今年から多和田真三郎と誠(相内誠)がそれぞれ背負うことになっている。
十亀はシュートを武器にする先発ということで、先人のイメージに重なる。また多和田は、次期エース候補という意味でもこの番号は頷ける。誠の「41」は、個人的には先人と同郷の高橋光成に付けてもらいたかったが、それはベタすぎだったということか。
ちなみに「47」は、去年から助っ人の番号になりつつあるので、生え抜きによる奪還に期待。「13」は去年引退したレジェンド西口の番号なだけに、少し寝かせる可能性があるが、早期の復活を願いたい。
野手の番号としては、やはり秋山幸二の「1」、清原和博・中島裕之の「3」、松井稼頭央の「7」が御三家となる。「1」は現在、栗山巧の番号になっていることから、残り2つにふさわしいのは誰かと考えると、現時点ではやはり浅村栄斗ではないだろうか。
当の本人も中島裕之への憧れから、かねてより「3」を熱望しており、それに見合う成績も残している。あとは球団の許可待ちという段階だ。
ただし、元ショートで現セカンドという守備位置を見ると、「3」より「7」の方が歴史的には合う。さらに現在、浅村が背負っている「32」は、松井稼頭央もつけていた出世番号なので、いつかは後世に譲る時が来るはず。その時に球団は「3」を与えるのか、それとも「7」にするのか、興味は尽きない。
また今年、球団史上初めて「3」と「7」が空き番になった。西鉄時代までさかのぼっても、ライオンズ球団の歴史的な背番号が同時に不在になることは、今までなかったのである。
付けるに値する選手がいないわけではないが、このスターの番号が空いていることと、近年のチーム成績が振るわないことは無関係ではないはず。来季以降はどうなるのか…という面でも、背番号の行方に注目したい。
先にも少し触れたが、郭泰源→松坂大輔→涌井秀章と渡ってきた背番号「18」が、2年の空白の時代を経て、再び選手の背中に戻ってくる。つけるのはルーキーの多和田真三郎。昨年のドラフト1位だ。
最近の西武には、「こんなにも背番号に愛着のない球団は他にない」と思わされることが、しばしばあった。主に生え抜きの選手が付けていた1桁台の、いわゆる良番を、山崎浩司、脇谷亮太、渡辺直人ら移籍してきた“外様”の選手に与え始めたあたりから、この違和感を覚え始めた。
しかし…、よくよく調べてみると、あることに気がつく。かつての西武には黄金時代があったことで、色々な番号に名選手がいる。それらの番号を期待の若手に与えていくと、意外と1桁台が余るのだ。そのため、“外様”だろうが1桁台を与えないと、背番号が行き届かない。
もちろん、「大きな番号を背負った生え抜きの番号を変えればいい」という意見もあると思うが、ここでもやはり黄金時代が重くのしかかる。若手にいきなり歴史ある番号を背負わせたら、その重みで潰れてしまい、大成するものもしない。そこには球団の配慮が見え隠れする。
ただ、そうはいっても、球団が「大丈夫!」と判断した選手には、いきなり良番をプレゼントすることも。背番号で、選手のモチベーションをコントロールしている、と言ってもいいだろう。それだけに今季は特に、背中の番号に注目してシーズンを楽しみたい。
文=森田真悟(もりた・しんご)