file#022 澤村拓一(投手・巨人)の場合
『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
今回の担当ライターは高木京介投手(國學院大→巨人)、十亀剣投手(日本大→JR東日本→西武)も書いていただいた山田沙希子さんです! 大学時代から豪腕ぶりは話題になっていましたが、プロでもその力は通用し、WBC日本代表にまで上り詰めた、あの投手の登場です! ずっと二部から見ていたからこそ感じる意外な一面を明かします。
◎力、力、の豪快なピッチング
澤村拓一(巨人)といえば厳しいトレーニングを自らに課して体作りをしていることは有名な話だと思う。大学時代には後輩投手を誘い、ともに汗を流していた。その上、かける負荷はその後輩がとてもマネできるものではなかったそうだ。
それだけの努力を重ね、作り上げた体。彼が大学時代に神宮球場で目にした澤村の体は、明らかに周りの選手とは違った。一回りも二回りも大きく、特に腰回りに関しては思わず目を見張るほどどっしりとしていた。
肉体だけでなく、マウンド上でのオーラもひときわ輝いていた。これぞ本格派という印象で、その豪快さは抜きんでていた。最速157キロのストレートを主体に、バッターに向かってどんどん押していく姿は圧巻。バッターを完全に見下しているかのような雰囲気さえ漂っていた。対戦したバッターが「本当にボールが速い」と次々に感嘆していたほどだ。
その一方でグラウンドのベンチ横にあるカメラマン席の前を通るときには、カメラマンの様子を気にして、足を止めてくれる細かい配慮もできる一面も持ち合わせていた。
さらに球が速いだけでなく、変化球も自在に操れる器用さもある。制球も悪くなく、凄味もありながら安定感に長けていた。
しかし、白星に恵まれていたかと言うとそうではない。二部リーグからスタートした彼の大学野球生活。一度【優勝】を経験したが、それはあくまでも二部でのことだった。4年秋にはリーグ優勝が目前まで迫ったが、叶わなかった。
◎スタミナ十分の本格派右腕
大学4年秋のリーグ戦開幕前。世界大学野球選手権の日本代表に選出されていたが、左わき腹肉離れにより代表を辞退。
不安を抱えたまま自身最後のリーグ戦に向かうことになり、開幕カードは中継ぎでの短いイニングの登板だった。だが2カード目からはいつものように先発へと役割を戻った。
シーズン終盤に迫った國學院大戦でのことだった。春は1試合に先発して0-2で敗れた相手。
そしてこの秋の一戦は先が見えない投手戦になった。
この日の澤村は打たせて取るピッチングに終始していた。ほとんどの試合ではほぼ毎イニング三振を奪っていたのだが、この日は2回を終えてなお0奪三振。『こういうピッチングもできるのか』と、三振がないことに違和感を感じつつも澤村の強みを見せつけられた気もしていた。
この試合は結局、延長14回にようやく終わりを迎えることになるのだが、澤村は最後までマウンドに立ち続けていた。テンポよく打たせて取るピッチングに終始し、奪三振は6。実に156球の大熱投だった。
このカードは1勝1敗のタイにもつれ、3日後に再び先発のマウンドに上がる。
この日は前回と違い、初回から三振ラッシュだった。見逃しあり、空振りあり。おもしろいようにバッターを料理していくテンポのよさだったが、味方の失策もあって0-2で敗戦。中2日でありながら、131球、14奪三振。試合に敗れたとはいえ、見事なほどの鉄腕ぶりを披露した。
◎卒・お山の大将
澤村はなかなか援護に恵まれないピッチャーだった。だから黒星もついて回ったし、まさに「孤軍奮闘」という形だった。また、澤村は被本塁打数が多かった。ピンチらしいピンチはほとんど作らないのに、たった一振りで試合が決まってしまうこともあった。
昨年、試合中にサインを見落として大学の先輩でもある阿部慎之助捕手に頭をはたかれた。勝手な想像だが、澤村には初めてのことだったのではないか。決して悪い意味ではないが、自分が一番だと思っていただろうし、仲間から活を入れられたことがなかったように思う。野球が職業になった今の方が、かえって楽しくプレーしているようにも見える。いや、「楽しく」というと語弊がある。充実感というか、背負っているものが軽くなったような感じだ。
プロ、日本代表と選り抜かれた集団にいけばいくほど、彼の姿は輝いて見える。
文=山田沙希子(やまだ・さきこ)/早い時期から東都大学の魅力にハマり、大学生時は平日の多くは神宮球場または神宮第二球場に通い詰めた。多くの東都プレイヤーの取材を通して、さらに東都愛は加速。ナックルボールスタジアム主催のイベント「TOHKEN〜東都大学リーグ野球観戦研究会〜」でも活躍。
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