今年で50回を数えるプロ野球ドラフト会議。1965年にスタートしたドラフトの歴史は、日本プロ野球の歴史でもある。その証拠に、今シーズン49歳0カ月で、日本プロ野球最年長勝利記録を更新した、生けるレジェント・山本昌(中日)がドラフト指名された年を振り返り、同期入団選手などを紹介していきたい。
山本昌は1983年10月22日に行われた第19回のドラフト会議で中日から5位指名を受け、日大藤沢高からプロの世界に飛び込んだ。この年の目玉選手は、大学No.1右腕と評判の高野光(東海大)で、大洋、阪急、西武、ヤクルトの4球団が1位指名で重複し、抽選の結果、ヤクルトに入団が決定した。
一方、山本昌を指名した中日の1位は藤王康晴(享栄高)で、2位には仁村徹(東洋大)、3位は大洋、広島と競合の末、獲得した三浦将明(横浜商)、4位は山田和利(東邦高)。5位の山本昌に続き、6位で清水治美(日本通運)を指名した。
当時の中日のスカウト部長は、甲子園を沸かせた地元のヒーロー藤王を無競争で、さらに抽選で三浦を獲得できて出来過ぎだ、とコメント。さらに、こちらも地元出身で大型内野手の山田も獲得できたのは、言うことなしとも語っている。つまり、山本昌は正直それほど大きな期待がかけられていたわけではなかった。
ところが、この6選手がプロ入り後に残した数字は以下の通り。
藤王は1989年まで6年間、中日に在籍。通算186試合で打率.220、5本塁打、19打点と、レギュラーを獲得することはできず、1990年には日本ハムへ移籍した。
仁村徹は、投手として入団したが、のちに野手へ転向した。1995年までに891試合に出場し、打率.276、62本塁打、301打点を記録。1996年からロッテに移籍した後も活躍するなど、成功を収めた部類に入るだろう。ちなみに、投手として1軍で登板し、野手で月間MVPを獲得したはじめての選手だ。
三浦は1989年までの6年間で16試合に登板。0勝0敗、防御率4.94という記録が残っている。山田は1990年までの7年間で124試合に出場。打率.251、2本塁打、12打点という成績を残し、後に広島へ移籍した。6位入団の清水は1軍登板なし。
それでは、中日以外の球団のドラフトはどうだったのか。この年は、甲子園を沸かせたスター選手が、続々とプロ入りした年でもある。巨人の1位は水野雄仁(池田高)で、阪急の1位は、藤王のライバル・野中徹博(中京高)。ともに甲子園を沸かせた選手だ。西武1位が渡辺久信(前橋工高)、南海1位が加藤伸一(倉吉北高)、近鉄1位は小野和義(創価高)、ロッテ1位が比嘉良智(沖縄水産高)、と7球団が高卒選手を1位指名した。
ほかにも、ヤクルト2位の池山隆寛(市尼崎高)や近鉄2位の吉井理人(箕島高)、阪急5位の星野伸之(旭川工高)や南海6位の佐々木誠(水島工高)ら、個性的な選手が勢揃い。高卒で入団してから、息の長い活躍を見せてくれた。
こうしてドラフトを振り返ると、入団当時は期待されながら活躍できなかった選手や、それほど期待されなかった選手がプロ野球に大きな足跡を残すことになるなど、様々な人間模様を読み取ることができる。今年のドラフトで、誰が指名できてうれしい、抽選に外れてつらい、と球団の編成も、ファンもドラフト当日にいろいろな感想を持つだろう。しかし、答えが出るのは10月23日ではなく、その5年後、10年後、20年後であることを確認して、ドラフト当日を迎えてみてはどうだろうか。
(2014年10月23日/スポニチアネックス配信)