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《2016年プロ野球引退物語》縁の下の力持ちとして捕手人生をまっとうした名脇役・鶴岡一成


 田中正義(創価大→ソフトバンク)、佐々木千隼(桜美林大→ロッテ)、柳裕也(明治大→中日)、今井達也(作新学院高→西武)…。来年も多くの逸材がプロの門を叩く。

 その一方で現役を退く選手も多くいる。今年は黒田博樹(広島)、三浦大輔(DeNA)、鈴木尚広(巨人)ら記録にも記憶にも残る名選手たちがユニフォームを脱ぐ。

 週刊野球太郎では全5回に渡って「2016年プロ野球引退物語」を連載。今年限りで引退する5名の選手を取り上げ、彼らのプロ野球人生、記録などを振り返っていく。

 第2回は、チームに貴重な控え捕手として横浜、巨人、阪神と渡り歩いた名脇役・鶴岡一成のプロ野球人生を振り返る。

プロのレベルの高さを味わった若手時代


 中学時代に野球部のキャプテンとして全国優勝を果たした鶴岡。地元・兵庫の神港学園に進学し、高校3年時には4番・キャプテンとして第67回選抜高等学校野球大会に出場。ベスト8の結果を残した。その年の秋のドラフト会議で横浜ベイスターズから5位指名を受け入団。入団時の背番号は「57」だった。

 横浜入団までは充実した野球人生を歩んだ鶴岡だったが、プロでは一転、苦境に立たされる。ルーキーイヤーの1996年から1999年までは一度も1軍には呼ばれず2軍生活を強いられた。当時、横浜の正捕手には1998年にチームを日本一にも導いた谷繁元信がいた。その壁はあまりにも高すぎた。

 2000年9月1日の阪神戦で代打として起用され1軍初出場を果たした鶴岡。翌2日にはプロ初安打も記録した。2001年に9試合、2002年に12試合と1軍での出場試合を増やしていったが、2003年には再び1軍出場なし。「戦力外」という言葉が頭をよぎってもおかしくない状況だった。

 だが2004年、ついに鶴岡が頭角を現す。当時の正捕手の相川亮二がアテネ五輪に出場。二番手捕手の中村武志も負傷のため出場機会が減少。鶴岡に白羽の矢が立ったのだ。8月24日の阪神戦でプロ初本塁打を放つなど、25試合に出場し、打率.400、2本塁打を記録。2番手捕手として1軍定着を果たした。2005年から2007年も2番手捕手として存在感を示した。だが、そんな鶴岡に転機が訪れる。


転機となった巨人への移籍


 2008年6月、鶴岡は真田裕貴とのトレードで巨人に移籍。背番号は真田が着けていた「43」を引き継ぐ。このトレードが鶴岡にとって大きなものになった。

 2008年といえば、巨人が阪神に対しリーグ史上最大の13ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝を果たした「メークレジェンド」の年。

 正捕手の阿部慎之助が北京五輪に出場したため、阿部不在の期間はスタメンとして投手陣を引っ張った。クライマックスシリーズでは本塁打を放つなど、日本シリーズ出場に貢献。西武との日本シリーズでは、右肩の故障により守備につけなかった阿部に代わり、全試合にスタメン出場した。

 日本一は叶わなかったが、阿部の代役として鶴岡の価値が著しく高まったシーズンになったといえる。2009年はヤクルトから移籍してきたグライシンガーの先発時に「専属バッテリー」を組んだ。打撃でも存在感を発揮し、5本塁打を記録。2011年には阿部の故障のため、初の開幕スタメン出場も果たした。

FA権を行使して再び横浜へ


 2番手捕手として巨人では確固たる地位を築いていた鶴岡だったが、出場機会の増加を求めてFAを行使。DeNAとなった横浜への4年ぶりの復帰が決まった。背番号は「10」。

 復帰1年目の2012年は、打率こそ.189と振るわなかったが、正捕手として102試合に出場。2013年はキャリア最多の108試合に出場し、打率.250、自己最多の70安打、40打点を記録。得点圏打率は.303と「ここぞの場面」でも活躍も目立った。


まさかの阪神移籍、引退


 2013年オフ、DeNAは阪神の久保康友をFAで獲得した。正捕手である鶴岡のプロテクトが外れていため、人的補償で鶴岡は阪神へ移籍。まさかの移籍だった。背番号は「40」にかわる。

 新天地の阪神で、鶴岡は再び2番手捕手として活躍。当時の守護神、呉昇桓(現・カージナルス)との相性は抜群だった。また、2015年には藤浪晋太郎と相性のよさを発揮。2人がバッテリーを組んだ試合は、なんと勝率7割5分を挙げた。

 阪神でも欠かせない捕手となった鶴岡だが、今季は原口文仁のブレイク。また、ルーキー・坂本誠志郎の台頭もあり出番が激減。出場はわずか10試合。安打なしに終わった。

 鶴岡は「野球選手である以上、1軍で戦力にならなかったら引き際」とのコメントを残し、9月29日に引退を表明した。


 最後は寂しい1年になってしまったが、横浜、巨人、阪神の3球団を渡り歩いた鶴岡の功績は大きい。

 少し話はずれるが、巨人と阪神の両方に在籍した選手はこれまでほんのわずかしかいない。巨人と阪神といえば永遠のライバル。ファン同士が興奮し、一触即発の状況になることもある。そのなかで両チームのファンから愛された鶴岡は貴重な選手だったともいえる。

 一見地味に見える控え捕手。だが、「ここぞの場面」で輝くときがあり、不測の事態の備えとして必ずいなければいけない存在。縁の下の力持ちなのだ。その仕事を20年近くまっとうした鶴岡はまさに名脇役だった。

 リードを評価されることも多かった鶴岡。いずれはバッテリーコーチとして自分の経験、技術を若手捕手に引き継いでもらいたい。


文=山岸健人(やまぎし・けんと)

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