記念すべき第1回大会となった2006WBCで、韓国の主砲として君臨していたのがこの年にロッテから巨人へ移籍した李承?だった。
第1ラウンドで日本は中国、チャイニーズタイペイにコールドで圧勝し、アジア最大のライバル・韓国と対戦する。
日本は1回、2回と1点ずつ得点。先発の渡辺俊介(ロッテ)は韓国打線を序盤から封じ、試合を優位に進める。しかし5回表に失点し、リードは1点に。そして8回表、日本は4番手・石井弘寿(ヤクルト)がマウンドに上がる。
石井は1死から2番・李鍾範に安打を打たれ、打席には3番・李承?。李承?はカウント3-1から高めに浮いたスライダーを逃さずに振り抜くと、打球はそのままライトスタンドへ。この一打で2対3と韓国が逆転。日本は敗れ、日本にとってはこの試合がWBC初黒星となった。
その後、日本は第2ラウンド、準決勝でも韓国と対戦。李承?をノーヒットに抑え込む。特に準決勝では3つの三振を奪い、第1ラウンドでの借りを返した。
それでも李承?はこの大会で、5本の本塁打を放ち大会ベストナイン(一塁手)に選ばれる。その好調な流れでペナントレースに入り、巨人移籍初年度で打率.323、41本塁打、108打点とNPB在籍中ではキャリアハイの数字を残した。
なお、その2年後の北京五輪。李承?は再び韓国代表のユニフォームを着て、日本と準決勝で対戦。勝ち越し弾を放ち、日本の決勝進出を阻んでいる。
第1回からキューバ代表の主軸を打ち、今回も代表入りしているのが2014年、2015年と2年間、巨人でプレーしていたフレデリク・セペダだ。
日本と対戦した2006WBCの決勝では「5番・レフト」で出場。5点を追いかける6回には2番手・渡辺俊介からタイムリー二塁打を放ち、反撃ののろしを上げる。この試合、それまで大振りしていたキューバ打線だったが、この回からはミート中心の打撃に切り替えるなど、対応力の高さを見せた。
さらにセペダは8回、3番手・藤田宗一(ロッテ)から右打席でレフトスタンドへ2ラン本塁打を運ぶ。最後は6対10で敗れ、準優勝となったキューバだが、セペダは本塁打を含む2安打、3打点と意地を見せた。
第2回大会の2009WBC、2次ラウンド・1組の初戦で再び日本と対戦。セペダは4打数3安打と活躍するもキューバは0対6で敗れた。続く、同ラウンド2度目の対戦となった一戦では4打数ノーヒットと抑え込まれ、チームも0対5とまたしてもシャットアウト負けを喫した。この大会でキューバは第2ラウンド敗退となったが、セペダは首位打者に輝き、ベストナインにも選ばれた。
さらに2013WBCでも第1ラウンドで日本と戦い、セペダは4回に2番手・田中将大(楽天)から右中間へタイムリー二塁打を放っている。
セペタは翌2014年に巨人へ入団するが、WBCのときのような際立った活躍を見せることなくチームを去った。
ヤクルトに入団した2011年から3年連続でセ・リーグ本塁打王を獲ったウラディミール・バレンティン。
オランダ領キュラソー島出身ということもあって、2013WBCではオランダ代表の一員として出場。日本とは第2ラウンドで対戦し、同郷の大先輩であるアンドリュー・ジョーンズ(楽天)を差し置いて4番に座った。
この対戦では、オランダは7回コールドの4対16で大敗したが、バレンティンは6回に2死満塁からセンターの頭上を越える走者一掃のタイムリー二塁打を放った。この直後には続くジョーンズもタイムリーと一挙4点を奪っている。
しかし、翌日のキューバ戦で負傷退場。第2ラウンド最終戦となった順位決定戦で日本と再戦したときには、出場機会はなかった。
第2ラウンド・1組を2位で通過したオランダは準決勝でドミニカ共和国と対戦。4番打者で復帰したバレンティンは初回にチーム唯一の打点を挙げる。試合は1対4で敗れるが、オランダはベスト4入りを果たした。
そしてこの年、バレンティンはシーズンで60本塁打を放ち、王貞治氏の持つNPB記録の55本塁打を塗り替えた。今回のWBCにも代表に選ばれ、主軸としての活躍が期待されている。
文=武山智史(たけやま・さとし)