新・男気契約として話題を呼ぶ、藤川球児の独立リーグ・高知ファイティングドッグス入団。そして、今回の件でこれまで以上に注目を集めているのが、藤川が所属することになる四国アイランドリーグplus(以下、四国IL)の存在だ。
香川オリーブガイナーズ、徳島インディゴソックス、愛媛マンダリンパイレーツ、高知ファイティングドッグスの4チームで2005年に始まったこのリーグ。経営面ではもちろん厳しい部分がある一方で、毎年のようにドラフト指名選手を輩出し続けているのが大きな特徴といえる。角中勝也(高知〜ロッテ)、又吉克樹(香川〜中日)、ソフトバンク育成枠から移籍を契機に今季ブレイクした亀澤恭平(香川〜ソフトバンク〜中日)などが代表例だ。
なぜ、四国だけで独立リーグが成り立つのかといえば、日本でも屈指の野球どころである、という理由に尽きるだろう。では、なぜ野球が盛んなのか? 四国の野球史を紐解いてみよう。
四国野球を語る上で欠かせない偉人こそ、現在の愛媛県松山市が生んだ文豪、正岡子規だ。日本野球黎明期の明治時代前半にベースボールに熱中した数少ない人物で、1884(明治17)年、東京大学予備門時代にベースボールを体験。「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」など、野球にまつわる句も数多く残し、野球殿堂入りも果たしている。
そんな野球人・正岡子規が郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えたのが1889(明治22)年のこと。他の地域に先駆けて野球に触れたことで、まず松山を中心に愛媛県で野球文化が成熟。やがて、四国の他県にもその熱が伝播していくことになる。
戦前から戦後しばらくにかけて、四国野球を牽引した存在こそ、「四国四商」と呼ばれる4つの商業高校だ。四商とは、四国四県の県庁所在地にある、香川県の高松商業、徳島県の徳島商業、愛媛県の松山商業、高知県の高知商業のことを指す。いずれの高校も甲子園優勝経験がある超名門校だ。この四商が切磋琢磨し、鎬を削ったことで四国における野球レベルが向上したといわれている。
特に1978年の第60回大会以前は、夏の代表校になれるのは四国全体で1校、1948年以降は北四国(香川、愛媛)で1校、南四国(徳島、高知)で1校だけだったため、甲子園で勝つことよりも代表校として甲子園に進む方が大変、ともいわれた。
今回、高知入りを決断した藤川球児も高知商業出身。兄・順一(元高知ファイティングドッグスGM)とともに1997年夏、甲子園出場を果たし、兄弟でバッテリーを組んだ(弟・球児が投手、兄・順一が捕手)ことでも話題を呼んだ。
四国四商以外でも、観音寺中央(香川)、池田、鳴門(ともに徳島)、西条、宇和島東、済美(ともに愛媛)、高知、明徳義塾(ともに高知)など、全国制覇達成校を多数輩出している四国勢。都道府県別の甲子園勝率を見れば、その強さは明らかだ。
国民的野球漫画『ドカベン』においても、四国、特に高知県が野球どころとして描かれている。明訓高校のライバルとして名勝負を繰り広げた犬飼小次郎、犬飼武蔵を擁した土佐丸高校、犬飼知三郎がいた室戸学習塾は高知県代表。後に彼ら犬飼三兄弟を中心に、プロ野球編終盤に「四国アイアンドックス」という新チームを設立。愛媛県の松山坊ちゃんスタジアムを本拠地としている。
この「四国アイアンドックス」が誕生したのは、四国ILがスタートする前年の2004年のこと。「水島予言」として話題になったが、それもこれも、四国の野球熱が本物だからこそ描けたリアリティだった。
先日、入団会見もすませた藤川球児。四国でのデビュー戦は6月20日、四国IL香川・徳島連合チームとのオープン戦(高知市野球場)での先発登板に決定した。これを契機に、四国野球にも注目してみてはいかがだろうか。