【この記事の読みどころ】
・第一印象は「細いけど、キレのいいボールを投げる」
・優勝したセンバツで魅せた絶妙なコントロール
・「ど真ん中」に連続10球でコントロールがついた!?
田中健二朗(現DeNA)が高校2年夏、常葉学園菊川の試合を観戦している。当時、『野球小僧』編集部に所属していた僕は、「浜松商対常葉学園菊川」という1回戦屈指のカードを見たくて、東京から浜松に飛んでいった。伝統高対強豪高の一戦。しかも、常葉学園菊川の監督は、かつて浜松商を甲子園優勝に導いた磯部修三氏(現浜松開誠館監督)という因縁の対決。浜松球場は超満員に膨れ上がった。
その試合、先発のマウンドに上がったのは1年生の戸狩聡希(現ヤマハ)だった。腰椎分離症を患っていた田中はベンチに入っていたものの、出番はなし。チームは初戦で敗退した。1年生ながら、豪快に腕を振る戸狩がすごく印象に残っていて、当然、その後の秋の大会も戸狩に注目していた。
秋の大会、常葉学園菊川は順調に駒を進め、東海大会出場を決めていた。僕が初めて田中の投球を見たのは県大会決勝戦だった。
3−5のビハインドの中、9回、戸狩に代わり、エースナンバー「1」をつけた田中がマウンドに上がった。
第一印象は「細いけど、キレのいいボールを投げるな」というものだった。この試合、9回、10回と無失点に抑え、チームの逆転勝ちを呼び込んだ。球の速さはなかったが、打者の手元で伸びる球筋に魅力を感じた。
ただ、正直、いいピッチャーだなとは思ったが、のちに甲子園優勝投手、さらに1年後にはドラフト1位になるとはとても想像できなかった。
ようやく、田中の凄さを目のあたりにしたのは翌春のセンバツ大会だ。
2回戦の今治西戦では初回の3者連続三振を皮切りに17奪三振。強力打線を散発3安打に抑え込み、チームを勝利に導く。さらに、準々決勝の大阪桐蔭戦では中田翔(日本ハム)相手に真っ向勝負を挑む。逃げることなく、徹底的に懐を攻め、3打数無安打1四球に。強打者を完ぺきに封じこんだ。一躍、注目を浴びる存在となった。
決勝戦では2回途中からマウンドに上がり、7回1/3を1失点に抑え、優勝投手となった。
どうしても、この年の常葉学園菊川と言えば、豪快なフルスイングに目が行きがちだが、打線の爆発は田中の好投があって成り立ったもの。田中が抜群の安定感で攻撃のリズムを作っていたのは間違いない。
田中の生命線は内外角に投げ分ける絶妙なコントロールだ。スピードは130キロ前後でも、ピンポイントで投げ込まれれば、強打者といえども、そうは打てない。
そんなコントロールをどこで見につけたのか。ヒントは当時、投手陣を見ていた佐野心部長に指導方法にある。
佐野部長はブルペンでとにかくど真ん中に投げることを要求していた。当時の取材で佐野部長はこんなことを言っている。
「投手の基本はど真ん中に投げることだと思うんです。ど真ん中に投げることができれば、どんなコースにも投げ分けることができます」
究極は練習の最後に集中してど真ん中に10球連続で投げること。その時、周りのいる選手は笑わせたり、プレッシャーをかけたりする。下級生の頃から取り組んできて、3年夏の甲子園期間中、田中は初めて10球連続で「ど真ん中」に投げ込むことができたという。高校生活、最後の最後で掴んだ本物のコントロールだった。