毎年恒例のドラフト会議も終わり、多くの逸材たちが、来季からプロ野球選手としてグラウンドで躍動する。その一方で、今季限りでその場を去る選手たちも多く存在する。彼らをピックアップして振り返ってみたい。
昨年の9月22日に2000安打を達成した福浦和也(ロッテ)。1993年にドラフト7位指名を受けてからロッテ一筋26年。出身は、本拠地・ZOZOマリンスタジアムがある千葉市の隣の習志野市出身(習志野高卒)で、まさしくフランチャイズプレイヤー、おらが町の選手だ。
それだけに、熱いことでおなじみのロッテファンは、ボルテージをさらに一段上げて声援を送り続けてきた。とくに、途中出場が増えてきたここ数年は、「代打・福浦」がコールされるだけで、温度が2、3度は上がったのではないかと思わせるほど、スタジアムは沸いていた。
42歳9カ月での2000安打到達は史上2番目の年長記録で(最年長は和田一浩[元中日ほか]の42歳11カ月)。“ジャスト2000”で引退するのは福浦が初となる。
練習熱心なことでも知られ、ロッテOBで評論家の里崎智也氏が、テレビ番組で「プロではどんな指導者に教わるかも大事ですが、どの先輩についていくかも同じぐらい大事。ぼくは福浦さんについていったおかげで一人前になれた」と語っていたように、後輩たちに与えた影響も大きかった。
来季も、2軍打撃コーチとしてマリーンズのユニフォームを着続ける。兼任コーチとして今季も若手の指導にあたっていたが、専任となってますます熱が入るはず。「福浦二世」と呼ばれるバッターの出現を待ちたい。
5月に電撃発表したこともあって、今季で引退したということを忘れているファンもいるかもしれないが、上原浩治(巨人)も2019年をもって現役生活を終えた選手の一人だ。
大阪体育大からドラフト1位で巨人に入団。ルーキーイヤーの1999年に、いきなり20勝4敗という好成績を残し、勝利数、防御率、奪三振、勝率の4部門だけでなく、新人王やベストナイン、ゴールデン・グラブ賞などあらゆるタイトルを獲得。先発投手最高の栄誉ともいえる沢村賞にも選出された。故障もあって毎年コンスタントに、というわけにはいかなかったが、その後も2002年には17勝5敗で最多勝、2007年には抑えに転向し32セーブを記録している。
また、2009年からはメジャーリーグに仕事場を移し、おもにリリーバーとして活躍。2013年にはレッドソックスのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。
日米通算成績は、134勝93敗128セーブ104ホールド。勝利数、セーブ、ホールドがすべて100を超えたのは上原が史上初。というより、今後、達成する投手はまず現れないだろう。
2016年のオフから2017年のキャンプにかけて、相次いで現役外野手の大病が明らかになった。赤松真人(広島)の胃がん、横田慎太郎(阪神)の脳腫瘍だ。両者とも治療、リハビリを経て、いったんは現場復帰を果たすも、最終的には今季限りで現役生活にピリオドを打つことに。
赤松は立命館大学から2004年のドラフト6位で阪神に入団。2軍で首位打者や盗塁王を獲得するなどブレイクしつつあった3年目のオフに、FA移籍した新井貴浩の人的補償として広島へ。そこからは広島の中心選手として攻守に活躍した。30代に突入した2013年以降は、守備固めや代走での起用が増えたが、ベンチには欠かせない貴重な存在だった。
横田は鹿児島実から2013年のドラフト2位で阪神へ。背番号「24」は、入れ替わる形でユニフォームを脱いだ代打の神様・桧山進次郎がつけていたもの。球団の期待のほどがうかがえる。ファームで研鑽を積み、3年目となる2016年にはオープン戦で打率.393を記録し、開幕スタメンに抜擢。その後は、1軍と2軍を往復する形にはなっていたが、首脳陣は近い将来の主軸候補と見ていたはずだ。父はロッテなどで活躍した真之さん。身体能力の高さは父譲りだった。
赤松は「一瞬の反応が遅れる」、横田は「ボールがまともに見えなくなった」と、復帰後の自身の感覚を引退会見で語っていた。選手としては志半ばだったかもしれないが、それでも病と戦う姿は、多くの人に勇気を与えた。
文=藤山剣(ふじやま・けん)