最近の「涙の引退試合」で語り草になっている選手といえば小池正晃(元DeNAほか)だろう。
1998年に松坂大輔(ソフトバンク)とともに横浜高で甲子園春夏連覇し、同年のドラフト6位で横浜入り。プロ生活15年間で横浜、中日、DeNAを渡り歩いた。
横浜入団当初から長距離砲として期待されたが、通算本塁打は55本。横浜時代の2005年に20本塁打を放ち、才能が開花しかけたものの、その後、2ケタ本塁打を放つシーズンはなかった。
古巣に復帰して2年目の2013年10月1日。小池はついに引退を表明。1週間後の8日、阪神との一戦が引退試合となった。
「7番・一塁」で出場すると、なんと2本の本塁打を放つ大活躍。うち1本は現役最終打席で、涙を拭きながらの一発。男泣きでダイヤモンドを一周する姿は、敵味方関係なくファンの心を揺さぶった。
いくら周囲が花を持たせようとする引退試合といっても、本塁打を打つことは簡単ではない。苦節のときに耐えて歯を食いしばってきた男に、野球の神様が粋なはからいを見せたのだろう。
野手の引退試合では打席に注目が集まりがちだが、守備でも魅せることはできる。
2009年10月10日、緒方孝市(元広島、現広島監督)の引退試合がそれだ。巨人との一戦となった最後の試合で、緒方は8回表から守備に就く。
すると、元同僚の木村拓也が緒方の立つセンターに向かってフライを打ち上げる。木村が打球に込めた惜別のメッセージを、緒方はしっかりと受け取った。
また、2012年10月9日に行われた金本知憲(元阪神ほか、現阪神監督)の引退試合では、荒波翔(DeNA)がレフトフライを放ち、金本にウイニングボールを捕球させる惜別弾を披露した。
捕球した金本はこのウイニングボールを、マウンド上のメッセンジャーにボールを渡そうとする。しかし、メッセンジャーは必死に拒否し、マウンドで金本をハグ。
これは「金本の野球人生のウイニングボール」だと、両チームの選手ともわかっていた。
ヤクルトが誇る守備の名手・飯田哲也の引退試合も、涙なしには語れない。
楽天に移籍して2年目の2006年10月1日。前日に引退を表明した飯田は本拠地最終戦に1番・左翼として先発出場。4打席目まで安打はなかったものの、誰もが「次こそ」と待っていた。
そんななかで迎えた9回裏。2死と追い詰められた楽天は、1人ランナーが出れば飯田に回るという場面で、リック・ショートを代打に送る。
リックは打席に向かう前に「イイダサン、ガンバルカラ」と一言。この言葉に感情を抑えきなくなった飯田は、ネクストバッターズサークルで男泣き……。
リックが打ち取られたことで5打席目は幻となったが、頑張ってきた男の生き様は、助っ人にも伝わる。そして「この人のために何かしたい」と思わせる。そんなことがわかるエピソードだ。
最後に紹介したいのは横浜時代の村田修一(巨人)。引退試合において、引退する選手以上に目立つ伝説を残してきた。
2007年10月6日。佐々岡真司(元広島)の引退試合では、佐々岡から本塁打を放って球場を静まり返らせてしまう……。
2010年9月30日に行われた矢野燿大(元阪神ほか)の引退試合では、土壇場の9回表に藤川球児から逆転本塁打。阪神が劣勢になったため、9回裏の2死から顔見せ的に出場するはずだった矢野の出番は見送られることに。「最後の花道」を奪ってしまった……。
まさに「引退選手キラー」というべき活躍(?)を見せているが、鈴木健(元西武ほか)は、村田に最後の花道を作ってもらった珍しい選手だ。
2007年10月4日のヤクルト・横浜戦。引退試合に鈴木は宮本慎也の代打で登場。渾身のフルスイングを見せながらも、なかなかボールが前に飛ばない。それでもファウルで粘っていたところ、13球目に村田が守る三塁へファウルフライを打ち上げてしまった。
誰もが村田がキャッチすると思ったが、そのボールはファウルグラウンドへポトリ。あえてグラブを出さなかった村田に大きな拍手が贈られた。
その後、鈴木は15球目を中前安打してプロ生活に幕を閉じる。「ガチンコだけがプロ野球ではない」ということをあらためて教えられた引退試合だった。
プロ野球選手ならば、いつかは迎えなければならない引退の日。屈強な肉体を持つ鉄人アスリートにも終わりはくる。
その最後の花道には、ともに戦ってきた男たちだからこそわかる情が絡み合う。見送る男たちも、いずれは同じ道をたどる。だからこそ勝ち負けでは割り切れない輝きがあり、今回紹介したようなホロリとくるストーリーが生まれるのだろう。
勇者たちが生む涙の伝説ストーリー。次回もお楽しみに。
文=森田真悟(もりた・しんご)