10月22日にドラフト会議が行われ、注目の高校生・県岐阜商高の高橋純平は、3球団が競合。ソフトバンクが交渉権を獲得。今夏の甲子園を沸かせた関東一高・オコエ瑠偉は楽天の外れ1位と注目選手が次々と指名されていった。
そんな中、1巡目の指名で明治大・?山俊にヤクルトと阪神が競合。くじ引きが行われ最初はヤクルトが交渉権獲得かと思われたが、真中満監督の勘違いにより実は阪神が交渉権を獲得していたという一幕があった。
今回の一件のように、過去のドラフト会議でも思わず「クスッ」となるような珍場面が会場で起こっている。その出来事を改めて振り返りたい。
過去のドラフト会議で思い出されるのは、1991年まで司会を務めたパ・リーグ広報部長の「パンチョ」こと伊東一雄氏だろう。その独特の名調子は今でも「ドラフト=パンチョ伊東」と認識するプロ野球ファンも多い。
その伊東氏のドラフト会議での珍場面といえば1972年のドラフト会議で起こった。大洋(現・横浜DeNA)が4位で福島商(現・履正社高)の益山性旭(ますやま・せいきょく)を指名した際、名前の漢字の補足説明として「性はセックスの性」と付け加えた。この一言に場内は思わず爆笑が起こった。その益山は大洋からの指名を拒否し帝京大へ進み、1977年のドラフト会議で阪神の1位指名を受け入団。しかし、一軍ではわずか11勝に終わった。
ドラフト会議で最も見せ場となるのは、ひとりの選手に指名が重複し、くじ引きに持ち込まれること。そして交渉権が決まり、その球団の代表者が手を挙げた瞬間に場内に歓声が沸き上がる。その時のパフォーマンスも話題を呼んだ。
1995年ドラフト会議ではPL学園高・福留孝介に高校生としては過去最多の7球団が競合した。福留の交渉権を獲得したのは近鉄であり、監督就任初仕事となった佐々木恭介監督は「よっしゃー!」と力強く叫んだ。赤いふんどしを締めてドラフト会議に臨んだ佐々木監督だったが、「巨人、中日以外なら社会人」を公言していた福留は入団を拒否。日本生命を経て中日に入団した。
今回の?山指名の一件を見て、思い出されるのが10年前の2005年の高校生ドラフトだ。この時、1巡目で大阪桐蔭高の辻内崇伸に巨人とオリックス、福岡第一高の陽仲壽(現・陽岱鋼)、報徳学園・片山博視に楽天、広島がそれぞれ重複指名。くじ引きの結果、辻内はオリックス、陽はソフトバンク、片山は楽天が交渉権を獲得した。しかしその後、辻内と陽の交渉権獲得に間違いが判明し辻内は巨人、陽は日本ハムと訂正された。
当初はオリックスに決まり厳しい表情を見せていた辻内だったが、巨人に訂正されると一転して明るい表情となり「小さい頃からファンで…」とコメントした。
一方、希望していたソフトバンクに決まり笑顔を見せていた陽だったが、日本ハムに訂正されると一転して暗い表情で涙を流した。その後、辻内は1軍登板することなく巨人を退団。陽は日本ハムの中心選手として活躍し、明暗がくっきりと分かれた運命のドラフトだった。
文=武山智史(たけやま・さとし)