この記念サイト、「年表」「記録集」「歴代背番号」の3つのコンテンツで構成されている。まずは「年表」で80年の主だった歴史を振り返っておきたい。
注目すべき点は年表とともに歴代ユニフォームが掲載されているところ。たとえば、1968年の1シーズンだけ展開した「日本初のノースリーブユニフォーム」をはじめ、あまり日の目を見なかったユニフォームも大きな画像でチェックすることができる(もっとも、そのノースリーブユニ導入のすぐ後から12連敗&7連敗と負けが続き、当時の杉下茂監督が休養。そのまま最下位に沈んでしまった縁起の悪さからか、翌年には別なデザインに変更した……という逸話は当然ながら掲載されていない)。
また、1981年8月26日には「巨人戦(後楽園)で山本功児の打球をショートの宇野勝がヘディング」の記述も。宇野ヘディング事件がちゃんと「中日80年史」のひとつとして公認されていることにニヤリとできるとともに、その打球の主が先日64歳の若さで亡くなった山本功児氏だった、という点も学ぶことができる。
近年の中日といえば、コロコロ目まぐるしく変わる背番号遍歴が話題のひとつ。そこで役にたつのが「歴代背番号」のコーナーだ。「背番号検索」「年代別検索」「選手名検索」の3つの検索方法があるため、誰がどの年、どの背番号だったかを一発で探し当てることができる。
1997—1999 背番号7
2000—2001 背番号8
2001—2003 背番号16
2004—2005 背番号8
2006—2009 背番号31
2010—2013 背番号30
2014—2016 背番号7
もちろん、これは森野将彦の背番号遍歴。ネットで調べると「30」と表記されていることも多いため、最新の(もしくは何年までどの背番号だったか)について、今後悩むことがなくなりそうだ。
80周年がらみでは、記念事業として「ドアラ体操」を企画したり、80周年記念ビスコをはじめとした限定グッズを発売したりと、どちらかというと地味めな企画が多い中日ドラゴンズ。もちろん、今後ド派手な花火を打ち上げるのかもしれないが、一方で、周年だからこそ「歴史を振り返り、遺産化する」という視点も重要だ。その意味でも、この「中日ドラゴンズ80周年記念サイト」の取り組みは評価したい。
ちなみに、「年表」によると、中日が“ドラゴンズ”という呼称になったきっかけは、当時のオーナーの干支が“辰年”だったから。いやぁ、子年や巳年じゃなくてよかったですね。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)