「広島の前田智徳って若い頃に足に大ケガを負ったのって本当?」
先日、中2の息子がそんなことを訊ねてきた。野球仲間との会話の中で、「アキレス腱を断裂しなかったら走攻守揃ったすごい選手だったらしい」という発言が飛び出したとか。
「そうだよ。今まで知らなかったん?」
「知らんかった」
戦争を知らない子どもたちならぬ、前田智の大ケガを知らない野球少年がいる世の中になっちまったのかよ…。
「あれはたしか95年のことやったっけな。一塁に駆け込んだ際にやっちまってなぁ」
「95年!? 俺が生まれる4年も前の話やん!? そりゃあ知らなくても不思議じゃないやろ!?」
「あれ? あのケガってそんなにも前の話だったっけ!?」
前田智がアキレス腱断裂の大ケガに見舞われたのは、プロ6年目の24歳のシーズン。ついこの間のような感覚が自分にはあったが、まさか18年も前の出来事になっていたとは…。よくよく考えれば前田智も今年で24年目。ケガをしてからは…
「前田智徳は死にました」
「今打ってるのは弟です」
といった自虐的な前田語録がよく知られているが、「死んだ」と語ってから、18年も現役を続けてきたということか…。あの時に前田智が42歳になっても現役を続けていることを想像できた人なんて、ほとんどいなかったんじゃないかなぁ。今でも打ってるのは、はたして弟なのだろうか…。
しかし、そんな納得とは程遠い状況で20年近くプレーしているのに、生涯打率は.302。昨年は代打という難しい役割ながら.327の高打率を記録している。体が不本意な状態にもかかわらず、これだけの打撃成績が残るところに、傑出した打撃技術の持ち主であることを確信してしまう。
「そういや、落合博満もイチローも『前田選手の技術が一番素晴らしい』と、一目置いてたからなぁ。少年たちにとっても最高のお手本だと」
「え!? そうなん? あの二人がそんなにも絶賛してたの? たしかに自分が野球を見始めたのは8年前くらいだったけど、勝負強くて、いつもいいところで打っているイメージがあるんだよな。なんかオーラがかっこよくて」
「バットが刀に見えてくるだろ」
「そうそう! 侍みたいな雰囲気で!」
「前田選手よりも成績を残す選手は今後も出ると思うけど、あんなオーラを纏いながら打席に入る選手は、たぶんもう出てこないと思う」
「それわかるわ」
「なんか前田智のプレーが無性に見たくなってきたぞ」
「おれも。そんな最高にお手本になるとイチローも言ってる技術もしっかり見ておきたいし」
今年の4月23日に死球を左手首に受け、左手尺骨骨折。戦線を離脱してから5カ月が経とうとしているが、8月には骨折箇所が完治し、本格的な打撃練習を再開。9月じゅうには1軍に復帰する見通し、という嬉しい報道も耳に入ってきた。
息子が心配そうに言う。「今年でまさか引退しないよね?」
私は「なんともいえん」としか返せなかった。
はっきりしているのは、前田智は不世出レベルの存在ということのみだ。
「見るのは来年でも別にいいか、と思って、会いに行かないまま、もし今年で引退されたら一生後悔しそう」
「ほんとほんと」
見られる機会があるのなら、今年中に前田智の打席を1打席でも多く、見ておいた方がいい。機会がないのなら、無理やりにでも作ったほうがいい。
後悔しても構わないのなら、もうこれ以上は言いません。