いよいよ幕を開ける「マツダオールスターゲーム2015」。
1971年7月17日、この年の球宴第1戦に全セの先発投手としてマウンドに登ったのが江夏豊(当時阪神)だった。1971年は江夏にとってプロ5年目。まさに絶頂期の左腕から繰り出すストレートとカーブで全パの打者をキリキリ舞いに。1番〜9番打者全員から三振を奪い、「9者連続奪三振」という金字塔が生まれた。
江夏豊という投手の偉大さを語る上で外すことができないこの記録。だが、本当は「9者連続」ではない事実を知っているだろうか?
この前年、1970年の第2戦に先発した江夏は、9個のアウトのうち、8つを三振で奪い、5者連続三振でマウンドを後続に託した。そして9者連続奪三振をマークした1971年の第1戦に続き、同年第3戦でも6回からリリーフ登板。この回の先頭打者を三振に仕留めている。つまり、登板3試合で「15者連続奪三振」をマークしたのだ。
ちなみに、16人目の打者だったのが野村克也(当時南海)。ヒットこそならなかったが、意地のセカンドゴロで江夏の記録をストップさせた。
この「江夏の9者連続奪三振」に最も肉薄したのが1984年の江川卓(当時巨人)だ。この年の第3戦に登板した江川は1番から8番まで、8者連続奪三振を記録。当時、既に三冠王も経験していた落合博満(当時ロッテ)が「数字よりも実際の方が速かった。今、日本でいちばん速い投手」と絶賛するほどのストレートで三振の山を築いた。だが、最後の打者、大石大二郎(当時近鉄)に投じた、ボールにするためのカーブを打たれてしまいセカンドゴロに。夢の9者連続奪三振の再現とはならなかった。
1990年代以降の投手で最多奪三振を記録したのが野茂英雄(当時近鉄)。1991年のオールスター第1戦では、連続でこそないものの9個のアウトのうち6個を三振で奪い、「ドクターK」の異名にふさわしい投球を見せつけている。
2000年代以降では2013年の第2戦に2番手として登板した千賀滉大(ソフトバンク)が、3番〜6番の中軸打者相手に4者連続奪三振。打者8人から5個の三振を奪ったのが最多記録だ。
今年の球宴で注目の「ドクターK」といえば、現在パ・リーグ奪三振1位(117個※楽天・則本昂大と同数)の大谷翔平(日本ハム)と、同じくセ・リーグ奪三振1位(120個)の藤浪晋太郎(阪神)だろう。昨年のオールスターゲームでは「球速勝負」を演じた二人だが、奪三振数はともに「1」と少なかった。この1年で成長したことを三振数という結果で示し、競い合ってもらいたい。
(文=オグマナオト)