まずはチームの主な打撃記録。1大会での「最多本塁打」、「最多安打」、「最多打点」を見ていきたい。
■大会最多本塁打
8本(PL学園/1984年)
■大会最多安打
74安打(東海大相模/2011年)
■大会最多打点
56打点(東邦商、現・東邦/1939年)
1大会でもっとも本塁打を打ったのは、清原和博(もと西武ほか)と桑田真澄(元巨人ほか)のKKコンビを擁した1984年のPL学園。この大会で清原は3本塁打、桑田は2本塁打と、2人でチーム8本塁打中5本を放った。あらためて2人の高校生離れしたすごさが伝わってくる。
1大会のチーム最多安打記録は、2001年の東海大相模。5試合で74安打と東海大相模打線のバットが唸りをあげた。驚くべきは、2回戦の大垣日大戦で20安打、準決勝の履正社戦で21安打と、74安打の半分超える41安打を2試合で放ったことだろう。
10安打台は多々あるが、20安打はなかなかお目にかかれない。それを2度やってのけての価値ある記録更新だった。
ちなみに個人の「1試合での最多安打」記録を見ると、6安打で1位に4人が並ぶ。1937年の田中幸男(滝川中/現・滝川)、2002年の佐坂謙介(鳴門工)、2009年の平本龍太郎(報徳学園)、2011年の畔上翔(日大三)だ。
佐坂、平本、畔上の3人は2002年以降に記録を打ち立てたが、最初に6安打を放った田中の出場年は、なんと2002年から65年もさかのぼる必要がある。
半世紀以上も並ばれなかった大記録が、ミレニアムを過ぎてから立て続けに並ばれたわけだが、それは近年、平均的な打撃技術が向上していることの証明だろう。
また1大会でのチーム最多打点記録は、1939年の東邦商(現・東邦)が挙げた56打点。達成から80年近くが経過しても、いまだ更新されない大記録だ。
決勝まで勝ち進んでも5試合のセンバツでは、1試合平均で12打点を挙げることが必要。この記録を超えるのは容易ではない。
ほかの記録に比べて語られる機会が少ないが、今後も不滅の記録として残るだろう。
甲子園のマウンドに立つエースは記録とともに記憶に残る。卒業後にプロで大成した投手も多い。ここからは特筆すべき投手の大記録を見ていこう。
■大会最多奪三振
60個
江川卓(作新学院)/1973年
■連続イニング無失点
39イニング
平松政次(岡山東商)/1965年
「投手の華」ともいえる見せ場こそ奪三振。1大会での最多奪三振記録は「怪物」江川卓(作新学院/元巨人)の60奪三振だ。
1973年、「バットにボールが当たらない」と噂された江川は3年の春に甲子園に初出場。準決勝で敗れるものの4試合で60個の三振を奪い、その実力を知らしめた。なお、この大会で挙げた江川の1試合あたりの最多奪三振数は20。センバツ2位の記録となっている。
ちなみに夏の甲子園での「4試合」という点で見ると、2012年に松井裕樹(桐光学園/楽天)が68個もの三振を奪っている(歴代3位)。
続いては連続イニング無失点記録。1965年、平松政次(岡山東商/元大洋)はスコアボードに39個ものゼロを並べ続けた。4試合(36イニング)連続完封は、平松のほかに3人いるので、そこからさらに3イニング伸ばした頑張りはあっぱれの一言だ。
両投手ともプロ野球で大活躍。レジェンドとして日本野球界に名を残していが、その実力はセンバツでも遺憾なく発揮されていた。
ほかの大記録では、完全試合を達成したのは1978年の松本稔(前橋)と1994年の中野真博(金沢)の2人のみ。なお、夏の甲子園で完全試合を達成した投手は現れていない。
ノーヒットノーランはこれまでに10人が達成。2004年のダルビッシュ有(東北/レンジャーズ)が最後の記録達成となっている。
ここで見てきたのは、おいそれとは達成できない大記録ばかりだが、今センバツでは記録更新を実現するニュースターが現れるか?
「センバツ基礎講座」の2時間目、記録編はいかがだっただろうか。
過去に88回行われている大会だけに、様々な記録が生まれている。これらの記録が、これからどのように塗り替えられていくのか。記録に着目するのも、センバツを楽しむためのひとつの方法だ。
もしも今センバツで、誰かが完全試合を達成したら、実況のアナウンサーよりも先に「3人目だ!」と叫んで、基礎講座受講の成果を発揮しよう。
文=森田真悟(もりた・しんご)