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トレンドは大型連敗? あの大型連敗ストップに貢献した相手球団はどこだった?

トレンドは大型連敗? あの大型連敗ストップに貢献した相手球団はどこだった?

 とにかくいろんなことが起こる今年のプロ野球。

 6月8日は巨人が球団ワーストとなる13連敗を記録。翌9日にようやく連敗地獄を脱出した。

 巨人が勝利した相手は、その日までに5連敗を喫していた日本ハム。対戦前から「巨人が連敗をストップするなら日本ハム戦!」とファンはざわついていた。

 まさに爆発寸前の爆弾が、日本ハムからすれば嫌な形で爆発した格好だ。

 連敗記録の果てには、当然連敗脱出の瞬間がある。連敗ストッパーとなった相手球団のことはあまり触れられていないが、記憶に残る連敗記録がストップしたときの様子を紹介しよう。

第一次長嶋監督時代:巨人の11連敗


 1975年、前年に引退した巨人・長嶋茂雄監督の1年目のシーズン。自身の引退と主力選手の高齢化による戦力ダウンもあってチームは開幕から失速。

 シーズンを通じて月間の勝ち越しが1度もなく、全球団に対しても負け越し。しかも、9月には当時の球団ワーストとなる11連敗を記録した。

 9月4日、大洋(現DeNA)との3戦目に敗れると、次の広島戦は2敗1分、さらに阪神戦、広島戦で6連敗をくらい、ここで9連敗。続くヤクルト戦で2連敗して11連敗となった。

 連敗開始から約半月後の9月18日、対ヤクルト3連戦の3試合目でようやく連敗脱出。3点ビハインドの嫌な展開だったが、何とか追いつき、最後はサヨナラ勝ちという劇的な幕切れだった(スコアは5対4)。

交流戦記録:日本ハムの11連敗


 2005年のセ・パ交流戦元年。当時はホーム、ビジターの6回総当り制だったため36試合制だった。

 交流戦の中盤に差し掛かった5月28日、日本ハムはヤクルトとの2、3戦目に連敗すると、次の巨人戦は1敗2分け。さらに中日戦、横浜(現DeNA)戦で6連敗、次の阪神戦で2連敗して11連敗。前述の長嶋巨人と似たような足取りで連敗街道をたどった。

 交流戦が残り4試合となった6月12日、対阪神3連戦の3試合目では序盤から打線が爆発して16安打で10対3の快勝。ついに連敗ストップとなった。

 ちなみに、これだけ負けはしたものの、交流戦の順位は10位。11位は広島、最下位は球団創設1年目の楽天だった。


セ・リーグ記録:ヤクルトの16連敗


 ヤクルトアトムズ時代の1970年、8月4日からの阪神戦3連敗を皮切りに、広島戦で2連敗、巨人戦で3連敗、中日戦で2連敗、再び巨人戦で3連敗、大洋戦で2連敗と見事なまでに「スイープ」をされっぱなし。続く中日との3連戦の初戦も敗れ、16連敗となった……。

 翌8月26日、虎の子の1点のリードを8回まで守り、連敗脱出は目前に迫った。しかし、9回に中日に追いつかれて延長に突入。踏ん張り続け、迎えた延長13回、1点をもぎ取り、なんとかサヨナラ勝利をものにした。

 なお、この連敗期間中の8月20日に別所毅彦監督が解任。小川善治2軍監督が代理監督となり、シーズン終了まで務めた。


日本記録:ロッテの18連敗


 いまだに語り継がれる伝説の連敗記録。

 近藤昭仁監督の2年目となる1998年、ロッテは6月13日のオリックス戦に敗れると、そこから近鉄戦で3連敗、日本ハム戦で3連敗、西武戦で2連敗、再び近鉄戦で3連敗と負けっぱなし。

 次の西武戦を1敗1分けで終えた後、ダイエー(現ソフトバンク)に3連敗をして、この時点で当時のプロ野球タイ記録となる16連敗を樹立。

 次のオリックス戦で2連敗して不名誉な記録を18連敗まで伸ばしたが、7月9日の3戦目に打線が爆発。追いすがるオリックス打線を振り切り9対6で勝利。勝利の瞬間にはテレビのニュース速報で報じられるほど、世間の関心を集めた18連敗だった。


文=サトウタカシ (さとう・たかし)

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