本拠地を後楽園球場から東京ドームに移転した直後のこの時代は、「国内初のドーム球場」という集客効果によって、観客動員数が以前と比べてほぼ倍増。
これで成績もともなえばよかったのだが、3位が1回(1988年)、勝率5割超えが1回(1990年)であとは安定のBクラス。残念ながら「新規顧客」に強い姿を見せることができなかった。
この時代の主な助っ人外国人には、イースラー、デイエット、ブリューワ、ウインタース、ベイスらがいた。
東京ドーム時代で一番輝いていたのがこの頃。「大沢親分」こと大沢啓二監督が再び指揮を執った1993年は、優勝した西武にあと一歩まで迫る2位。
「ええで節」でおなじみの上田利治監督時代の1996年と1998年は、両年とも前半戦をハイペースで勝ち進み首位ターンするも後半に失速して2位。特に1998年は「ビッグバン打線」と呼ばれた強力打線でパ・リーグを暴れまわった。
この時代の主な助っ人外国人には、グロス、ウインタース、シュー、ブリトー、ウィルソン、ブルックス、オバンドー、シュールストロムらがいた。
東京ドームの開場から10年以上経過して、観客動員数も年々減少。成績もパッとしないことから、2002年頃から本拠地の移転構想が持ち上がった。
球団初の外国人監督であるヒルマン監督が指揮した2003年は、東京ドーム最終年で成績は5位。しかし、この年にヒルマン監督が体現した「スモールベースボール」が、翌2004年のAクラス、さらに2006年の日本一となって花開くこととなる。
この時代の主な助っ人外国人には、ミラバル、ウィルソン、オバンドー、クローマー、エチェバリアらがいた。
北海道に根を下ろした現在でも、日本ハムは東京ドームを準本拠地としており、今季も7試合で主催ゲームを開催している。
今と比べるとちょっと粗削りかもしれないが、それでいて味のあった野球を見せていた在京時代。貴重な歴史の1ページとして記憶に残してもらえると幸いだ。
文=サトウタカシ (さとう・たかし)