子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考えるコーナーの第六回目。今回は野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、野球的「子どもの命名」について語ります。
「藤川球児っていう名前、よくよく考えたらすごいよなぁ。親が息子に野球をさせたかったっていう願いがビンビン伝わってくる名前だもんな」
「ほんまやなぁ。親は、子どもに野球やってほしかったんやろうなぁ」
「藤川球児、メジャー行き濃厚」というニュースを報じるスポーツ番組をリビングで見ていた長男ゆうたろうと次男こうじろうのそんなやりとりが聞こえてきた。
「でも、野球やってなかったら、きっと違和感のある名前だろうね。球技スポーツならまだいいけど、スポーツ嫌いだったりしたら子どもも結構つらいんちゃうか?」
「親の期待を裏切っちゃったっていう十字架を一生背負っちゃう感じになっちゃうんかなぁ」
「ノーベル賞もらった山中教授の名前が『球児』やってみ? 『山中さんの両親は野球やってほしかったんやろうなぁ。けども、本人は反発してips細胞の研究の道へ進んだんやなぁ』って世の中の人はみんな思うで」
「まぁなぁ。でも、さすがにノーベル賞獲ったら、親も『おまえはその道でよかったんや! ややこしい名前つけてごめん!』って謝りたくなるやろな」
確かに。「せっかく球児って名付けたのに、野球もやらず、ノーベル賞なんぞ獲りやがってって!」と憤慨する親はこの世にいまい。
「まぁ、そもそも、子どもにすれば、『おれの意見も聞かず、勝手につけたんやろ! おれはおれの生きたいように生きる!』って言いたくはなるよな」
ごもっともです。名前に縛られなきゃいけない理由なんてどこにもない。
とはいえ、親が子どもに野球にまつわる名前をつけるケースは自分の周りでもちらほら見られる。
現在、甲子園球場から徒歩圏内の地域に住んでいるせいか、「虎太郎(こたろう)」という名の少年に遭遇することが時折ある。聞けば親が必ずと言っていいほど熱烈なトラキチで子どもも阪神ファン。チームに入って野球をやっている確率もほぼ100%といっていい。
家庭環境の影響も大きいだろうが、子ども自身も自分の名前と日々、向き合ううち「虎太郎と名付けられたからには阪神ファンにならなきゃ看板倒れになってしまう! やるスポーツはそりゃあ野球でしょ!」という思いが芽生えやすい、という要素もあるのかもしれない。「親の期待に応えたい!」という気持ちも、心のどこかで無意識に働いてしまうのかもしれない。
そう考えると、「どうしても息子には野球をやってほしい! 子どもが野球というスポーツを選ぶ確率を高めたい!」と願う親御さんは、野球にちなんだ名前を付けることを選択肢に入れたほうが、思いが届く確率は高くなるのかも、と思ったりする。野球を選択しなかった場合に生じる違和感をリスクと感じてしまう人にとっては、ある種の賭けになってしまうかもしれないが…。
◎「雄太郎」と「辰徳」で悩んだ少年時代
我が家の長男のゆうたろうという名前は、70年代後半〜80年代にかけて阪急ブレーブスの主戦投手として活躍した今井雄太郎投手からとったものだ。
小学生の高学年の頃、今はなき西宮球場にパリーグ観戦にいくと、7割くらいの確率で今井投手の登板日と重なった。なにか縁があるのかなと思いながら観戦するうち、今井投手が大好きになった。私が5年生の時には完全試合を達成。いつしか「こんな偉業を成し遂げるピッチャーの名前を自分の子どもにつければ、きっといいピッチャーに育つに違いない! 自分の名前も健太郎だし、語呂的にもいい感じじゃないか!」と思うようになっていた。将来、男の子が生まれたら「雄太郎」と名付けよう。小学生の時点でそう決めていた。
しかし、その決意が鈍った時期もあった。中学2年の時にジャイアンツに入団した原辰徳の大ファンになった影響で「辰徳という名も捨てがたい…!」と思うようになったのだ。
迷った私は母親に相談してみた。雄太郎と辰徳、どっちがいいと思うか、と。母はこう答えた。
「名字が原みたいに二文字やったら辰徳でもいいと思うけど、あんたの名字は服部やからなぁ。『はっとりたつのり』なんて、売れないお笑いコンビみたいな響きやで。やめとき」
この言葉が「やっぱり雄太郎や」という気持ちに舞い戻らせてくれた。
妻には結婚前から「男の子が生まれたら雄太郎と名付けたい」という話をし、許可を得ていた。そのため長男が生まれた際に名前で悩んだり、もめたりすることはなかった。ただ、名前の字画に関する本を読み漁ったところ、「雄太郎」は服部という名字には字画の相性がよくないと書かれていたことが気になり、最終的には「祐太朗」に落ち着いた。
ちなみに次男のこうじろうという名前に関しては、長男のときのような強いこだわりがあったわけではなかった。長男に関しては私の希望が通ったので、次男に関しては妻に選択権があったのだが、妻の希望は「こうちゃんと呼んでみたい」という漠然としたもの。「じゃあ、次男だし、こうじろうにしようか」と。どうせなら野球にちなんだ形にしたいなと思い、当時広島カープで活躍していた町田選手の登録名「康嗣郎」を拝借する案もあったのだが、これまた名字との字画の相性が悪いらしく、最終的には「昂次朗」になった。
長男には「おまえのゆうたろうは昔、完全試合を達成した今井雄太郎からきてんねんで」という話を過去にしたことはあるが、本人の反応は「ふーん」「誰やねんそれ」というそっけないもの。野球にちなんだ名前をつけられたことが、「じゃあ、おれは野球をしなくては!」という方向に作用した可能性はおそらくゼロパーセントである。
先日、こうじろうが所属している中学軟式野球の練習試合が学校で行われるというので、妻と観に行った。ベンチから聞こえてくるのは応援歌の大合唱。歌と歌の間の部分では「かっとーばせーひろき!」「かっとーばせーあきら!」といった具合に打席に立っている選手の名前が叫ばれていた。そしていよいよ次男の打席。応援歌がワンコーラス流れたところで、妻が口を開いた。
「ねぇ、『かっとーばせー、こうちゃん!』って言ってない?」
「たしかにそう言ってるよなぁ。なんであいつだけ“ちゃん”づけなんやろ」
「中学野球なのに、なんかあの子の時だけ少年野球みたいよね」
その夜、本人に「一人だけちゃんづけ」の理由を訊ねてみた。こうじろうは、ぶすっとした表情でこういった。
「こうじろうは5文字だから、いまいちリズムが合わへんねん。名前が合わない場合は名字で呼んだりするんだけど、俺の場合『はっとり』っていうのもいまいちリズムが合わへん。仕方がないから『こーちゃん』になったらしいわ」
私はそれを聞いて「しまった!」と思った。息子同様、「名字はっとり、名前五文字」の私自身、同じようなやるせなさを数十年前に感じていたのだ。
私の場合は強引に名字を呼ばれることが多かったのだが、「かっとばせー、はっとーり」だと小さい「っ」のところで妙な間が生まれる。それが打席の中で気になって仕方なかった。「名字が服部なら、せめて名前は3文字か4文字にしてほしかった」と親にグチをこぼしたものだ。そのことをすっかり忘れ、息子らに同じ思いをさせていたとは、なんたる不覚…。子どもに野球をさせたい方で、これから名前を付ける人は、そのあたりもぜひ考慮してあげてください…!
「おれも名前が5文字やから応援歌の時、呼びにくいっていわれるわ。その上、名字がはっとりやで。せめてどちらかでスムーズに呼べるようにしてほしかったなぁ…」
そばで聞いていたゆうたろうまでがそんなことを言いだした。こうじろうは「もし甲子園出ても、アルプスから『こーちゃん』なんて言われるのいややなぁ」と必要なさそうな心配をしている。
「なんで応援歌のことまで考えて、3文字か4文字の名前にしてくれへんかったんや」としつこくぼやく二人に、私は思わずこう言い返した。
「ほ、ほんならもうひとつの候補だった『辰徳』のほうがよかったんやな!」
顔を見合わせ「たつのり…?」とつぶやく二人。
「それは…ちょっといやかな…」
「たつのりなら今のほうがいいかな…」
あれ? そんなにも「たつのり」ってNG?
つけなくてよかった…!