混セを抜け出しつつある阪神!30年ぶりの日本一なるか〜1985年はここから一気に突き放した〜
一時は6球団すべてが5割を切り、かつてないほどの大混戦となっていたセ・リーグのペナントレース。しかし、さすがに各チームが100試合前後を消化したあたりから、貯金がある上位3球団(阪神、ヤクルト、巨人)と、借金生活となった下位3球団(広島、DeNA、中日)が徐々にはっきりしてきた。
阪神の日本一は1985年のみ
その上位3球団の中でも、8月13日の試合終了時点で2位に1.5ゲーム差をつけて、頭ひとつ抜け出しつつあるのが阪神だ。
現在は甲子園球場を高校球児に渡し、恒例の「死のロード」に出ているが、8月4日からの3カードはすべて勝ち越し。投打が噛み合ってきた。
今年が球団創設80周年という阪神の長い球団史の中で、日本一になったのは1985年、ただ一回である。
その年は、開幕から4試合目となる4月17日に、日本野球界においても歴史的な出来事といっていい、あの「バース&掛布&岡田のバックスクリーン3連発」も飛び出している。
他にも、バースが打率.350、54本塁打、134打点で球団初の三冠王を獲得。その勢いで日本シリーズでも3試合連続本塁打を叩き込み、レギュラーシーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得する大活躍を見せた。阪神ファンから「神様、仏様、バース様」と崇め奉られたのもうなずけるパフォーマンスだったといえよう。
阪神は1985年の再現なるか?
このあたりの様子を詳しく紹介しているのが、現在発売中の『野球太郎 プロ野球&高校野球[1985年]大事典』だ。
1985年の阪神を取り巻く状況はどうだったのか? それをさまざまな角度からの検証がなされていて、阪神ファン御用達のスポーツ紙『デイリースポーツ』で1985年を振り返る企画や、「ミスタータイガース」こと掛布雅之DC(育成&打撃コーディネーター)の8ページにわたるロングインタビューなど、当時の状況を伝える猛虎党必見の記事を取り揃えている。
もちろん、夏の甲子園を席巻した桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」特集など、他にもさまざまな1985年ネタが満載。30年前、すでに六甲おろしを歌っていた人も、まだ生まれていないヤング世代も、ぜひ手にとって、激アツだったあの年の野球界に思いを馳せていただきたい。
なお、1985年の阪神は、最終的には2位の広島に7ゲーム差をつけて、セ・リーグを制しているが、8月末の時点で2位・巨人とは0.5ゲーム差。さらに0.5ゲーム差で3位・広島が続くといった、今季同様の大混戦だった。
果たして、阪神は1985年のようにシーズン終盤で他チームを突き放し、優勝を飾れるのか。こちらも目が離せない。
(文=藤山 剣)
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