今年ブレイクするニューヒーローのヒントはここに?「交流戦・インパクト」選手名鑑(第22回)
「Weekly野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第22回のテーマは「交流戦・インパクト」選手名鑑です。
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5月14日より約1カ月、各チーム24試合を戦う「セ・パ交流戦」が始まっています。2005年より始まったこの試みも今年で9年目。前半戦の催しとして、球界にしっかり定着した気がします。
セ・パのスター選手の対戦はという面白さはもちろん、情報の少ない相手同士の力と力がぶつかりあう対決や、余裕の出る投手のローテーションを生かした投手力を前面に出した戦い方など、通常のペナントレースとは少し異なる勝敗に関連する要素などもあり、ひと味違った戦いが楽しめるのも魅力のような気がします。
また、序盤戦を終えエンジンがかかった選手が大活躍しチームを一気に浮上させたり、定着した新戦力が春から継続して活躍することでフロックではない印象をつけるのも、この期間だったりします。
そんな交流戦で、印象的な活躍を見せた選手で今回は名鑑をつくってみましょう。
2005年中村剛也(西武)
今では球界を代表する長距離打者となった、中村剛也の最初のブレイクは高卒4年目・22歳のこと。その風貌と「おかわりくん」のニックネームのインパクトも強かったが、何よりこの年から始まった交流戦での大活躍がきっかけだった。
プロ入りから3年間で32試合、本塁打2本に終わっていた中村だったが、5月5日に当時の主砲・カブレラが欠場した日本ハム戦でスタメン出場を果たす。この試合で2本塁打を放つと、翌日から始まった交流戦・広島戦でも本塁打。長距離打者の片鱗を見せる。
さらに巨人との3連戦で計3本塁打。19日の阪神戦から打順を3番に繰り上げ、開幕時三塁のレギュラーだったフェルナンデスをDHに追いやった。25日のヤクルト戦でも2本塁打を放つと、カブレラと並ぶチーム最多の10本塁打に到達した。
5月末からのカード2巡目に入っても中村はよく打ち、4本塁打を積み重ね交流戦トップタイの12本塁打を記録。この活躍でパ・リーグの初代交流戦優秀選手賞に選ばれた。
しかし、交流戦が終わり7月に入るとはスタメンに名を連ねることが急激に減る。6月までに17本塁打を放ちながら、7〜8月は1本塁打と急ブレーキ。9月中旬より翌年をにらんだ戦いが始まると出場機会を増やした。
80試合の出場で打率.262、22本塁打(年38本ペース)という成績でシーズンを終えた。
その後2年間は、三振を減らす打撃を求められるなどして低迷。しかし2008年に復調すると、以降交流戦の打撃成績では上位を維持している。昨年までの交流戦の通算本塁打は51本で歴代トップである。
[中村剛也・チャート解説]
交流戦導入初年度より、スラッガーとしての才能を開花させ全国区に。
ブレイク度は5。2005年は22本塁打中の12本を交流戦36試合で放っている。その前後の数試合でも5本塁打するなど、5月から6月に凝縮されたピークがあった。
絶好調度も5。ただこの年の西武は交流戦を18勝18敗で8位。「おかわり」のブレイクで勢いには乗れなかった。
貢献度は3。
チャートは、交流戦での活躍をファンからの認知を得る機会としたかの「
ブレイク度」、シーズン中の好調の波が交流戦期間にぶつかったかの「
絶好調度」、チームの交流戦成績に寄与したか「
貢献度」を5段階評価したもの(以下同)。
2012年杉内俊哉(巨人)
中村剛也同様、交流戦の始まった2005年に18勝(うち交流戦で4勝)&MVP獲得でブレイクした杉内は、その後も交流戦でコンスタントに勝利を重ね、昨年までに挙げた22勝は歴代トップタイ。交流戦の歴史とともにキャリアを積み上げてきた世代の選手だ。
ただ交流戦で突出した成績を残したことは少なく、最多の4勝、全体で4位の防御率2.05を挙げた05年以降は、印象的な大活躍はなかった。
だがソフトバンクから巨人へFA移籍した2012年は、勝手知ったるパ・リーグのチームを相手に最多の4勝、46奪三振を記録しセ・リーグの優秀選手に選ばれた。
交流戦期間の安定した成績だけでも納得の受賞だが、何よりもインパクトになったのは5月30日の楽天戦で見せた「ほぼ完全試合」のノーヒットノーランだろう。
ダルビッシュ有がMLBヘ、杉内がセ・リーグに移籍したことで名実ともにパ・リーグNo.1投手となった田中将大との投げ合いを、杉内は完全なピッチングでリード。4回まですべての打者を三振か内野ゴロに打ち取り、5回から8回も外野への飛球は各回1本ずつ。四死球も0で、走者を1人も出さないまま9回のマウンドへ。西村弥を投ゴロ、代打の銀次を三振。あと1人で1994年の槙原寛己(巨人)以来の完全試合という瞬間を迎えた。
代打・中島俊哉に対し、杉内は初球は高めのストレート。これはファウルに。2球目はスライダーが外にはずれボール。3球目もスライダー、ボール1個内に入り、これが見逃しのストライクに。1ボール2ストライクから、首を振り、勝負にいった4球目は外低めのストレート。うまく制球されたが主審の右手は上がらず。
続く5球目はストレートが高めに抜け大きくはずれてボール。フルカウントからの6球目もストレートで内角を突くが、これもはずれてボールに……。
あと1球に迫った偉業は杉内の手をすり抜けていった。それでも次の聖澤諒を三振に仕留め、打者28人に108球、14奪三振、1四球という極上の内容のノーヒットノーランを記録した。交流戦での記録は日本人では初。
[杉内俊哉・チャート解説] FAで巨人に移籍した球界を代表する投手の1人として、この年の交流戦では順当な活躍。
ブレイク度は3。この年は夏場にと終盤にローテーションからはずれ、ポストシーズンも登板せず。前半戦は好調期間だった。
絶好調度は5。この年杉内の活躍などで巨人は交流戦で初優勝。
貢献度は5。
2011年岡田幸文(ロッテ) 交流戦で見せた好守で、ファンの記憶に残った選手といえば岡田幸文だ。守備でその名を知らしめるのは簡単ではないが、岡田は注目度の高い巨人戦で、1試合で3つのファインプレーという荒技を見せることで、忘れようのない選手になった。
クラブチーム出身、育成枠の6位での指名という“雑草”ながら、2年目の2010年には守備要員として1軍でプレー。2011年は開幕から1番・センターでレギュラーの座をつかむ。そして交流戦終盤の6月15日、東京ドームでの巨人戦で岡田は全国のファンに“発見”されることになる。
まず2回裏、1対0でリードする巨人は、1死一塁から7番・阿部慎之助がセンター寄りの右中間深くに伸びのある打球を放つ。走者は長野久義。破れば1点もある打球だったが、これをフェンスにぶつかりながらキャッチしてみせた。
そして2対1、巨人リードで迎えた5回裏、2死一塁で今度は2番・坂本勇人が左中間深くに大きなフライを飛ばす。しかしこれもフェンスに当たる間際で駆け込んだ岡田がキャッチ。またも失点の危機を救った。
そして8 回裏、2死一塁で迎えた3番小笠原道大が右中間へのやや弾道の低いフライを放つ。岡田はこれにも走り込んでキャッチすると鮮やかに回転受身。
通常は走り出し間もなく最高速度に乗り、フェンス近くで減速してボールをつかみにいくのがよくある守備だが、岡田はフェンスが近づいても加速していくように見える。この試合を機に、ケガと隣り合わせかも知れないがアグレッシブな岡田の守備を全国のファンが知ることとなった。
この年、岡田はチームで唯一全試合に出場し、リーグ最多の351刺殺を記録。失策も0と完璧な守備でゴールデングラブ賞を受賞した。守備でロッテの新しい顔となってみせたのだ。
[岡田幸文・チャート解説] 入団3年目、それまでは知る人ぞ知る守備の人だったが、交流戦での活躍を通じ全国区に。
ブレイク度は5。交流戦で集中的にいい打球が岡田に飛び、それを見事に処理する機会に恵まれたのはあるが、シーズン通して安定感ある守備を見せた。
絶好調度は4。しかしこの年、ロッテの交流戦順位は10位。さすがに守備でチームの順位を引き上げるのは難しい。
貢献度は3。
その他の交流戦でインパクトを残した選手
2005年 西口文也(西武)
5月13日の巨人戦で9回2死まで無安打無得点、死球1つで抑えてきたが、28人目の打者・清水隆行に本塁打され快挙を逃す。この年西口は6勝を挙げ交流戦最多勝に輝いた。
2006年藤川球児(阪神)
2000年代後半は安定した成績を残し、交流戦に限ったことではないが活躍を見せてきた。特に、2006年は36試合中20試合に登板し自責点0。24回で37奪三振を奪う神がかった投球を見せ、多くが初見だったパの打者に衝撃を与えた。
2006年 リック・ガトームソン(ヤクルト)
5月25日の楽天戦で交流戦初のノーヒットノーラン達成。ソフトバンクに移籍した2008年には、投手ながら本塁打も記録している。
2006年佐藤充(中日)
この年、5勝を挙げて交流戦最多勝。生涯挙げた勝ち星は11勝。その約半数がこの年の交流戦でのもの。しかも無四球での完封を含む4完投とパ・リーグの打者に対し好相性を見せた。
2007年サブロー(ロッテ)
4番を打ち、打率.347、24試合で打点23とチャンスでよく打った。9打数連続安打なども記録し優秀選手賞を受賞。チームは3連覇を逃すも4位に。
2008年加治前竜一(巨人)
6月6日のロッテ戦の延長10回、代打でプロ入り初打席に立ち、ライトへサヨナラ本塁打。初打席本塁打は多いがそれがサヨナラ弾だったのは史上初。
2008年福地寿樹(ヤクルト)
この年、西武からヤクルトに移籍。交流戦で34安打を放ち打率.321、盗塁も10 決める活躍を見せ評価を得る。この年は131試合に出場し打率.320、盗塁も42個決めてタイトルも獲った。
2009年糸井嘉男(日本ハム)
12本の二塁打など32安打を放ちリーグ4位の打率.372を記録。交流戦期間中に規定打席に到達し、レギュラーの座を確かなものにした。
2009年トニ・ブランコ(中日)
来日初年度ながら交流戦で11本塁打。開幕からパワーは見せていたが、実力と日本野球への対応力を示してみせた。優秀選手賞を受賞。
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交流戦で活躍した選手を眺めると、実力派の間に、ルーキーや移籍組などで、のちにブレイクすることになる選手が顔を見せるというバランスが多いようです。
シーズンを通して1年間活躍するには、交流戦は好成績で駆け抜けなければいけない期間ですが、初めて対戦する相手を攻略し、最初の難関をくぐり抜け、スターになっていく選手はやはり多いように映ります。
また、まだ多くのチームに上位進出の可能性が残された序盤に行われるという特性もあり、チームや選手へ幅広くファンの目が向けられてきたような気がします。交流戦で成績を残し、ファンに名前を覚えてもらうことはスター誕生への近道であるようにも感じます。
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