「ウチが春に負けてしまいクラークに勢いをつけてしまったから、夏は絶対に勝たないといけない」
北北海道大会決勝進出を決め、クラーク記念国際(以下クラーク)との空知支部決戦になることが決まると滝川西・小野寺大樹監督はいつになく強い口調で語った。
「(春に負けて)クラークにリベンジするには北北海道大会の決勝戦しかなくなりました。選手たちには『負けっぱなしでいいのか?』とことあるごとに話し、北北海道大会の決勝で勝って甲子園へ出るんだ、と言い続けてきました。やっとクラークと対戦できる、だから明日は絶対に勝ちます」
報道陣には気さくで少し控えめな小野寺監督が珍しく言い切った。
この夏、創部わずか3年目で広域通信制高校としては初めて夏の甲子園出場を決め全国的にも話題となったクラークと滝川西は同じ空知支部にあり、何度も対戦してきた。
滝川西は春1度、夏2度の甲子園出場経験のある空知支部屈指の実力校。OBでもある小野寺監督は部長を経てこの春に就任。滝川西にしてみればクラークは「新参者」、絶対に負けたくない、負けてはいけない相手だったのに、春に0対4の完敗。昨秋は10対1(7回コールド)で一蹴していただけに、この敗戦のショックは大きかった。一方、クラークには大きな自信となり、北海道大会という大舞台の「経験」を与えてしまった。
北海道中央部にある空知地区はかつて炭坑で栄え、北海道のみならず日本の経済をけん引、炭坑を中心に町は栄え、活気に包まれていた。
かつて空知支部は南空知(南北海道)、北空知(北北海道)に分かれ、それぞれ20校前後の高校がしのぎを削っていた。だが、少子化、過疎化が急速に進むなかで高校の廃校、統廃合が相次ぎ2007年度に空知支部に統合された。
この夏の空知支部は17校・14チームだった。夕張、奈井江商、月形、深川東は4校連合チームを結成。この連合チームを含めて4チームがベンチ入り登録(北海道は18人)に満たない現状がある。
支部唯一の私立校だった駒大岩見沢が閉校した2013年秋以降、空知支部は滝川西を筆頭に岩見沢緑陵、深川西、岩見沢東など公立校がしのぎを削るも、2013年秋から今年の春までの8大会にのべ10校が出場してわずか3勝。準決勝進出はなかった。言い方は悪いが「低迷する支部」だった。
「クラークには絶対に負けるな」
ここ数年、空知支部の野球部の合言葉だ。
この言葉には複雑な想いが見え隠れする。この時代に新規加盟校が誕生する意味や価値は大きい。一方でクラークの選手たちの成長を目の当たりにして、空知支部を代表する強豪になることは明らかだ。
そのことは全国から力のある選手が集まってくることを意味し、指導者たちは危機感を募らせる。寮、室内練習場と次々に完備され、専用グラウンドも完成することへの嫉妬のような感覚もあるだろう。
その複雑な想いが「クラークに負けるな」だ。
この合言葉が皮肉にも滝川西を大きく成長させた。
北北海道大会で滝川西は、北見緑陵の猛追を振り切り、7度の甲子園出場経験のある旭川大高には逆転勝ちして勢いに乗った。先に決勝進出を決めたクラークを見た選手たちは「よし、勝てば対戦できる、リベンジできる!」と燃えた。
準決勝では、球速154キロを計測し20奪三振と北北海道大会の奪三振記録を塗り替えた大会屈指の左腕・古谷優人(江陵)に食らいつき、エース・小野寺蒼吏も146キロを計測するなど、速球を中心に気迫の投球で江陵打線を封じた。
こうして待ち望んだ北北海道大会決勝、クラークとの対決が実現したが、クラークの平澤津虎揮を攻めきれず、滝川西は再び0対3で敗れた。4度目の対戦で、エース・小野寺の微妙なクセから配球を読まれるしたたかさも見せつけられた。
秋の大勝から一転、春に完敗し、夏のリベンジは成らなかったが、小野寺の力のあるストレート、危機を救った左腕・梅木一朗の力投、江陵戦で見せた機動力など、滝川西は見違えるほどの成長を見せた。そしてすべての局面で見せてくれた全力疾走は、見る者の胸を打った。