1950年、北九州市生まれ。1969年のセンバツでは、県立小倉高の捕手として出場。太田幸司(三沢高)に抑えられ、1回戦敗退を喫した。その後、早稲田大でプレー。1973年秋のドラフトで、太平洋クラブライオンズ(現西武ライオンズ)から2位指名を受けてプロ野球界入りを果たした。 1980年に現役引退。その後は、西武のヘッドコーチや楽天の編成部長を歴任し、2014年に学生野球資格回復の認定を受け、6月に九州国際大付高野球部の監督に就任した。