日本シリーズも終了したこの時期、プロ野球ファンの注目は「契約更改」と来季への「戦力補強」に集まる。御多分に洩れず、筆者も朝起きてスポーツ紙を開き真っ先に目が向くのが、前日行われた契約更改の一覧表だ。球団毎に選手名と推定金額が記載されており、「前年比△60(万円)」といったマークがついているアレだ。
例えば「広島の小窪は前年比100万円ダウンの1400万円を保留か…。シーズン後半から活躍しただけにダウンは仕方ない部分もあるけど、本人としてはCS出場の原動力になった自負もあるから、ここは譲れないだろうな…」といった物語を勝手に想像して楽しむのが、試合のないオフシーズンの愉しみになっている。
しかし今オフの契約更改は、例年にない驚きでスタートした。12球団のトップを切って契約更改を進めている中日ドラゴンズ。ある朝、いつものようにその一覧表に目を通すと、中日の選手の欄には軒並み▼がズラリと並んでいた。今シーズンの中日の成績からすれば各選手のダウン提示は当然といったところだろう。その提示額も驚きであるが、新たに就任した落合博満GMの辣腕振りに驚いているのだ。今回のやじうまジャーナルでは、今オフの話題を独占している「オレ流」契約更改術にクローズアップしてみよう(金額は全て推定)。
【“コストカッター”落合GMの恐るべき辣腕ぶり】
両リーグのクライマックスシリーズが開幕する直前の10月11日、落合氏が2年ぶりに中日に復帰、しかもGMに就任するというサプライズ会見が行われた。
「現場は全て監督に任せる」
「オレは黒子に徹するだけ。それがこのチームを浮上させる一番のポイント」
そう言い切った落合GM。今回の契約更改については、まさにそのコメントを“有言実行”した形となった。フロントの仕事である契約更改について落合GMはしっかりと自らの意思を持って「改革」を断行。セ・リーグ5球団全てに負け越してBクラスに転落した中日を変えるため、ほぼ全選手に前例のない大幅ダウン提示を続けている。
特に11月8日には10選手と契約更改を行い、前年比で約7,000万円の年俸を削減。この日までの4日間で37選手と更改を行い、合計で約5億円ほど削減する鬼のような「コストカッター」として、早くも球団に貢献しているのだ。
【大減俸を提示される選手たちの反応はいかに?】
選手にとって大減俸は「たまったもんではない」だろう。しかし、そこは2年前まで監督を務めていた落合GM。様々な話術で選手たちと交渉しているようだ。
例えば契約更改のトップバッターを務めた小田幸平は900万円減となる2,700万円でサイン。レギュラー捕手である谷繁元信が新監督に就任し、選手兼監督という立場になる来季、2番手捕手である小田の立場は大きく変わるだろう。今季31試合しかなかった出場機会は増えることが大いに考えられる。
しかし、その期待料を提示することなく、野球協約に定められた減額制限25%減で白旗をあげさせた。更改後は「25%減はキツイ」と苦笑した小田。しかし「でも落合GMと西山代表から“必要だ”と言われたのでサインしました。去年はそういう言葉がなかったので保留しました」と違いを説明したという。このあたりは選手たちの気持ちを汲んで交渉する「オレ流」交渉術といえるだろう。なんと言っても2年前は自ら監督として選手たちを指揮する立場にいたのだから、最も選手に信頼されているGMといえるのではないだろうか。
【ノーヒットノーランの山井でも…】
その落合GMが指揮をとった2007年の日本シリーズで8回まで完全試合を成し遂げた山井大介も、野球協約の減額制限ギリギリの2,000万円減の6,000万円でサイン。6月28日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成するも“ご祝儀”はなかった。
「(落合GMからは)“お前、今年ノーヒットノーランやったんだよな”で終わりました」とコメントした山井は今季、23試合で5勝6敗、防御率4.15とシーズン通じて安定した成績を残せなかった。落合GMの評価基準は、あくまでもシーズン通じてのトータルでの活躍。それに反した成績だった山井も、ダウン提示を素直に受け入れたようだ。「(落合GMから)先発の柱になれ」と言われた山井は発奮し「来年取り返してやろうと思いました」と気合いを入れている。
【「オレ流」が巻き起こす波紋…】
昨年のドラフト1位ルーキー・福谷浩司との交渉は、これまた以前と比べると異例の契約更改となった。
ドラフト1位で指名された選手であれば、どれだけ悪くても、翌年は10%減ほどで更改するのが普通だ。その年のドラフトで一番期待を込めて指名しているのだから、ある意味、期待料として、大目に見るのが一般的だった。例えば福谷と同じ大卒でドラフト1位入団の大野雄大は1年目の2011年、わずか1試合で0勝1敗、防御率13.00という成績ながら、10%減の1,350万円で更改している。対して福谷は1年目の今季、中継ぎで9試合に登板し、0勝1敗3ホールドの成績をあげた。両者は同じような成績にも関わらず、福谷のほうは制限いっぱいの25%減の1,125万円での契約更改となった。
【衝撃が走った……井端の退団】
「球団の方針が変わったから」と言ってしまえばそれまでだが、今まで長きに渡ってチームを支え続けてきた選手には、今オフからの査定方法はあまりに酷ではないだろうか。それが噴出したのが、現在まで、いや今オフの契約更改が全て終わったあとでも、おそらく最大の衝撃度になっているだろう井端弘和のケースだ。
1億円を超える年俸の場合はその減額制限は年俸の40%になる。しかしその40%をもはるかに上回る80%以上の大減俸を井端は提示された。今季の2億5,000万円から、ダウン率では過去最大級の88%減となる3,000万円を提示されたとみられ、交渉は決裂。中日退団が決まってしまった。
今年3月のWBCで日本代表を崖っぷちから救い、指名打者部門でのベストナインにも輝いた当時の井端はまさに「時の人」であった。
三冠王を3度も獲得したのはプロ野球史上、落合GMただ一人が成し得た大記録である。その誰もが踏み入れることができない異次元の活躍をみせた落合GMは同時に、年俸についても一流のこだわりを持っていた。
1990年、本塁打と打点王の二冠を獲得した落合GM(当時中日)は、1億6,500万円の年俸から3億円を希望。しかし中日側の提示は2億2,000万円を譲らず、翌1991年の春季キャンプが始まってもまとまらず、ついに日本人選手として史上初の年俸調停に持ち込んだ。
年俸調停とは互いの希望額を提示して第三者に判断を委ねる制度で、この時は吉國一郎コミッショナーと両リーグの会長が調停委員会を設け、間に入った。結局、球団側が提示した2億2,000万円で決定するも、落合は当時の会見では「調停まで持ち込んだのは金額が目的ではなく、年俸調停委員会にかけることが目的だった」と言い放っている。自分から犠牲となり、当時の球界に風穴を開けようとした落合GM。その翌年の1992年には3億円の年俸を勝ち取り、1994年に巨人へ入団した際には3億8,000万円の年俸を得たのだった。
今季の中日はセ・リーグの5球団全てに負け越し、12年ぶりのBクラスに沈んだ。主催試合の観客動員も1997年のナゴヤドーム開場以来、初めて200万人を割った。今回の冷酷なまでの「コストカッター」ぶりは、自ら手塩にかけて育てた選手たちのここ2年の不甲斐ない成績に対して、叱咤激励を含めたメッセージであり、年俸をもらうこと、年俸を決めることはどういうことか、中日の選手にはもちろん、12球団のフロント、球界への問いかけでもあるような気がしてならない。
■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)…会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。"ファン目線を大切に"をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは@suzukiwrite。