1972年のドラフト1位で中日に入団し、引退するまで名古屋一筋のプロ野球人生を送った鈴木孝政。150キロの速球が武器の鈴木は、入団からしばらくは主にリリーフで起用されフル回転。1976年には最優秀防御率を獲得した。
しかし、1977年にヒジを故障。1982年に本格復帰してからは先発に転向し、1982年に9勝、1983年に7勝を挙げる。
先発転向に際して行った速球派から技巧派へのモデルチェンジがハマった鈴木はさらに勝ち星を伸ばし、1984年に16勝を挙げてカムバック賞に輝いた。
先発転向1年目からそれなりの勝ち星を挙げていたので、1984年にいきなりカムバックしたわけではないが、「モデルチェンジ」は松坂が復活するうえでもキーワードになるはず。ぜひ先人の足跡を追ってほしい。
必殺のシュートを武器に、巨人のエースとして1980年から1985年にかけて6年連続で2ケタ勝利を挙げた西本聖。しかし、1986年は7勝、1987年は8勝と2ケタ勝利に届かなくなると、ついに1988年は4勝のみと白星に見放されるように。
誰もが西本は終わったと思った。しかし、中日時代の落合博満をきりきり舞いさせた投球を見たときから「いつか獲得したい」と考えていた星野仙一監督(当時)がトレードを仕掛け、中日のユニフォームを着させた。
期待に応えた西本は復活。中日移籍1年目に自己最多の20勝を挙げて斎藤雅樹(巨人)と最多勝分け合い、カムバック賞を受賞。松坂も西本に習って、中日移籍1年目にもうひと花咲かせてほしい。
1993年のドラフト1位でオリックスに入団した平井正史。2年目の1995年に15勝27セーブと大爆発し、最優秀救援投手と最高勝率の二冠に輝いた。
しかし、その年をピークに成績がみるみる下降。1999年から2002年に至っては不振と故障が重なり、4シーズンで21試合しか登板できなかった。
そんな暗黒の日々を変えたのはトレード。2002年のオフに山崎武司と交換での中日移籍が決まると、2003年は中継ぎに先発にとフル回転して12勝を挙げ、8年ぶりの2ケタ勝利を達成。文句なしでカムバック賞に輝いた。
西本と同様に、平井は環境の変化で浮上のきっかけをつかんだ。受賞時の年齢を見ると、平井は28歳、西本は33歳。今年で38歳になる松坂は、年齢的には苦しいか……。
ただ、松坂にとって「ほぼほぼ未開の地」名古屋の水が合う可能性も捨てきれない。環境の変化が功を奏することに、今は一縷の望みを託そう。
最後を飾るのは2017年にカムバック賞を受賞した岩瀬仁紀。中日の、そしてプロ野球界の生けるレジェンドが昨季、見事に復活。左ヒジの故障で2015年と2016年をほぼ棒に振ったが、昨季は50試合に登板して2セーブ、26ホールドと返り咲いた。
岩瀬は43歳でカムバック賞に輝いた。先に西本、平井と比べて松坂は年齢的に苦しい……と述べたが、岩瀬を見ると年齢的な問題だけでは語れない。前言撤回。松坂も十分に復活を狙えると、あらためて前向きに考えたい。
また筆者は、カムバック賞の先輩とチームメイトになれることが何よりも大きいと感じる。岩瀬のアドバイスは、復活への最高の教科書になりえるからだ。
これまでは後進の道を作る立場にあった松坂だが、ここは切り替えて先人が作った道に乗ってみるのもいいのではないだろうか。
野球界に限った話ではないが、道を踏み外したエリートほどもろいものはないと感じることがある。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」ではないが、挫折するのが遅ければ遅いほど、立ち直るのには時間がかかる。
そして松坂――。常に成功者としての道を歩んできただけに、30代半ばを過ぎて鼻っ柱を折られるショックはたまらなかっただろう。だから今なお、現役にしがみついているとも考えられる。
しかし、プロならばどんな状況でも結果を残さなければいけない。もう過去の栄光は通用しないところまできてしまったのだから。
ただ、「捨てる神あれば拾う神あり」といいうべきか、復活するにはいいチームに入ることができたと感じる。底は打っているはずなので、あとは上がるだけ。2018年、怪物の「リベンジ」が始まることを楽しみにしている。
文=森田真悟(もりた・しんご)