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皆さんが期待している「夏の高校野球の世界観」を絶対にずらさないのが僕らの使命

 甲子園大会会期中、毎日放送される『熱闘甲子園』(ABC・テレビ朝日系全国ネット)。その番組で編集長を務めるテレビ朝日の宮崎遊さんと、元編集長の齊藤隆平さん(2006年−2011年担当)のお2人に、番組の見どころと甲子園の魅力について聞きました。


「どっちの学校に比重を置くか」を決めるのが毎回大変


─── 番組作りをする上で、特に大変なことは何でしょうか?

宮崎 やっぱり「どっちの学校に比重を置くか」を決めるのが毎回大変ですね。よく「負けそうな学校を取り上げる」と思われているんですが、全くそんなことはないんです。でも、取材に行くと「ウチに来た、ということはウチが負けると思ってる?」と言われて、「いや、両チームを取材しているんです」と毎回のように説明しています。

齊藤 確かに、選択しなきゃいけないときは厳しいですよね。ディレクターはAの学校だと思ってネタをあげてきても、こちらとしてはBの学校だと思って、喧嘩したり相談したり。でも、どちらかに決めなきゃいけない。もちろん、画としてはどちらのチームも撮っているんです。打ちました、勝ちました、という喜びのシーンだけじゃなくて、打たれた投手も描写することで濃淡が生まれる。2枚で初めてワンセットになり、見る人の感情を動かすことができる、というのはスタッフ全員が徹底してやっていることですので。



宮崎 でも、わかりやすい放送にするためには、やっぱり主語が必要です。そして、その主語によって、画のバランスは同じでも、受ける印象は変わってしまいます。そこのジャッジは相当、心を痛ませながらも、相手チームも逆に印象に残すようにしようというのは、いつも心がけています。

齊藤 あと、実は『熱闘甲子園』で自由に動かせるカメラは2台しかないんですね。もちろん、中継用カメラはたくさんあるんですけど、こちらの指示で動かせるものではないので、今日の主役として考えていたベンチの選手などのリアクションは『熱闘甲子園』のカメラで押さえておく必要があります。なので、今日の放送はどの選手で描いたら、一番試合内容やプレーと自然にリンクできるか、ということを試合中に考えながらカメラワークを工夫しています。

宮崎 三塁コーチャーを取り上げる予定で『熱闘甲子園』のカメラを当てていたのに点が入らなかった、とか。あとは、伝令の選手を取り上げようと思ったら伝令が全然出ないとか、なぜか別の選手が伝令に出たり……。

齊藤 でも、担当するディレクターにしてみれば、やっぱり用意していたネタでつなぎたいんですよ。エースディレクターでも1大会で多くて4〜5試合。ディレクターによっては1、2試合というケースもあるので、1試合1試合がとても重いんです。

宮崎 それなのに、6回ぐらいになって頭抱えてたりしてね(笑)。そんな時、「いま打てる手は何があるんだろう?」と整理して考えるのが編集長の役目です。そういう部分は苦労といえば苦労ですね。

ずっと見ていたから描けたこと


─── 逆に、用意していたネタがどハマりすることもありますよね?

齊藤 そうですね。代打の選手にスポットを当てて、実際に代打出場の場面があると嬉しいですよ。あとは、宮崎が担当した2004年の千葉経大付(千葉)なんかもそうだよね?

宮崎 『熱闘甲子園』のチームに入ったばかりの頃ですね。その年、私は千葉大会の1回戦から千葉経大付を追いかけていたんです。今、DeNAにいる松本啓二朗選手の代で、監督は松本選手のお父さん(松本吉啓監督)という「父子鷹」。まだ甲子園に出るかどうかもわからないときから注目していたチームが、あれよあれよと勝ち上がって、甲子園ではとうとうダルビッシュ有(現レンジャーズ)のいた東北(宮城)を撃破。その直後に、雨の影響で1日1試合だけになって、急遽「何か企画が必要だ」となったときに、「ダルビッシュに勝った松本親子でいくぞ!」となったのはよく憶えています。

齊藤 あの試合、最後のバッターとして打席にダルビッシュ選手が入る時に天を仰いだんですが、その表情を天井カメラから撮った画は秀逸でしたね。

宮崎 松本啓二朗という選手はどちらかというと気の弱いタイプで、父である監督からは、ずーっと「攻めろ攻めろ」と言われ続けていたんです。でも、東北との試合、延長10回は全球、気持ちのこもったストレートでした。だから、お父さんが初めて息子を誉めた試合だった、とまとめることができました。それは地方大会からずっと見ていたから描けたことですね。

『熱闘甲子園』という箱の中でいかに新しいことができるか


─── これまでの番組の歴史の中で、思い出深い企画やテーマソングというと何になりますか?

宮崎 テーマソングでいえば、2010年の『あとひとつ』(FUNKY MONKEY BABYS)ですね。この曲は、PVに田中将大投手(現ヤンキース)が出演して、その後に『熱闘甲子園』のテーマソングになりました。そして去年、楽天vs巨人の日本シリーズ第7戦の最終回で『あとひとつ』が大合唱された。それ以前にも、震災の年のはじめて、当時のKスタ(現コボスタ宮城)開催試合で田中投手が先発したときにも、1回と9回に『あとひとつ』が流れたんです。『熱闘甲子園』のテーマソングがその後も物語としてつながっていくというのは、感じるものが大きかったですね。

齊藤 『あとひとつ』はちょっと別格だよね。

宮崎 日本シリーズ第7戦はたまたま私が担当していて、実況の清水俊輔アナウンサーもずっと『熱闘甲子園』でMCを務めていて、解説には工藤公康さん(元西武ほか)もいらっしゃいました。これまでの経緯をわかっている人間がその場に立ち会っていたんです。実は、最終回の『あとひとつ』が流れた場面って、実況アナウンサーも解説者も一言も喋らず、数十秒の間ずーっと『あとひとつ』の大合唱を聞かせているんですが、それはあの歌と田中投手の経緯をずっと知っていた人間が集まったからできたことだと思うんです。「球場のファンが大合唱しています」なんて野暮なことは言わない。この歌のもつ意味をちゃんと理解して、ファンにも受け継がれていって、プロ野球の一番のクライマックスシーンにもつながっていったというのは、すごく嬉しかったですね。



齊藤 あと企画でいえば、ここ何年か、決勝戦の前日に「手紙」というコーナーをやっています。監督から誰かへの手紙とか、試合に出られなかった先輩からこの夏輝いた後輩へ、といった感じで、いろんな側面からメッセージが集まります。試合後のインタビューとはまた違った、高校球児の素直な言葉がぎっしり詰まっているんです。あえて「手紙」にすることで、いろんな想いを凝縮することができているかなぁと思います。

宮崎 チームメイト同士で手紙のやり取りなんか普通しないですからね。でも、そういうことをあえてやることによって、高校野球だからこその世界が表現できると思っています。

齊藤 1年に1回、皆さんが期待している「夏の高校野球の世界観」というものがあると思うんです。そこは絶対にずらさないのが僕らの使命でもあると思います。『熱闘甲子園』というタイトルと受け継がれてきた伝統という箱の中にあるものをしっかり崩さず、その中でいかに新しいことができるか、という部分に挑戦していきたいですね。


■プロフィール

(写真右)宮崎遊/1980年生まれ(松坂世代)。千葉県立成東高校では野球部に所属。3年夏は東千葉大会のAシードになるも初戦敗退。同世代の凄さ、初戦敗退のショックなど色々感じるものがあり、野球を離れて日本大学芸術学部放送学科に進学。2003年にテレビ朝日入社。2004年に初めて『熱闘甲子園』にスタッフとして参加する。巨人担当記者や野球中継、『報道ステーション』スポーツコーナーを担当し、2010年から再び『熱闘甲子園』のスタッフに。2013年から編集長を担当している。

(写真左)齊藤隆平/学習院大学を卒業し、1996年にテレビ朝日入社。1998年、スポーツ局に異動し、『GET SPORTS』、『NANDA!?』、『プロ野球中継』、『熱闘甲子園』などを担当。1999年、初めて『熱闘甲子園』にディレクターとして参加。その後、2004年から『熱闘甲子園』に再登板。2006年〜2011年の6年間、『熱闘甲子園』の編集長を務めた。現在はテレビ朝日営業局 タイムマーケティング部所属。

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