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前回まで、マッシー村上さんのことを書かせてもらいました。そのマッシーさんとは取材をきっかけに縁ができて、2007年からは、野球雑誌の関連媒体でコラムの連載がスタート。
2年後の夏、連載を担当する編集の方を通じて、マッシーさんと南海(現ソフトバンク)で同僚だった、三浦清弘という投手の存在を知りました。
1938年、大分に生まれた三浦さんは、別府鶴見丘高3年時に夏の甲子園出場した右腕。同じ大分で1年先輩の稲尾和久(元西鉄)と投げ合ったこともあり、南海には57年に入団しています。
プロ初勝利を挙げた59年には、杉浦忠が4連投4連勝を果たした巨人との日本シリーズにも登板。62年に自己最多の17勝、65年にはリーグ1位の防御率1.17を記録し、その前年から達成された南海のリーグ3連覇に貢献。
73年に移籍した太平洋(現西武)で3年間プレーして引退するまで実働19年、通算132勝と輝かしい実績ある投手だったのですが、大変お恥ずかしいことに、僕はマッシーさんに紹介されるまで名前さえ知らずにいたのです。
では、なぜマッシーさんはその年の夏、元同僚で6年先輩の三浦さんに言及したのでしょうか。
答えは、ナックルボールです。
ちょうどその年、2009年、MLBのオールスターにナックルボーラーのティム・ウェイクフィールドが初選出され、連載で話題にしたときのこと。「日本人では三浦さんがナックルボーラー。本当にナックルを使っていたのはあの人ぐらいですよ」と、マッシーさんが話していたのだそうです。
聞いて間もなく、あらためて、マッシーさんにうかがってみました。
「三浦さんのナックルはね、指の関節でつかむんじゃないの。アメリカのピッチャーと同じように、ボールに爪を立てるんです。指が長かったんだね。それですごい変化するもんだから、キャッチャーが捕れなくて。おでこにボールを当てたの、今でも憶えてますよ」
もっとも、僕が調べた限りの文献資料には、三浦さんとナックルを結びつける記述は見当たらず。投手としての特徴は<コントロールがいい>と書かれている程度。マッシーさんも「三浦さんのピッチングの基本はシュート、スライダー」と話していて、ウェイクフィールドのようなナックル主体の投手ではなかったということでした。
しかしながら、ナックル主体ではなくても「本当に使っていた」「アメリカのピッチャーと同じように爪を立てる」という説明に触発され、僕は三浦さんにインタビューを申し込みました。
引退後はスカウト、コーチを務めたあと、さまざまな縁がからみ、大阪の北新地でフグ料理店『三浦屋』を営んできた三浦さん。インタビューはそのお店で行える運びとなったのですが、指定された時間は開店する午後5時。
営業中でも大丈夫なのだろうかと思いつつ暖簾をくぐってみれば、ラフなジャケット姿の三浦さんと、背広の紳士がテーブル席で面と向かい、グラスにビールが注がれていたのです。
年恰好から50代に見える背広の紳士は南海ファン(現在はソフトバンクファン)とのことで、いただいた名刺の肩書きは<取締役>の文字。野球関係者やマスコミ関係者ではないようでも三浦さんとは親しい間柄らしく、「西さん」と呼ばれていて、同行した編集の方と僕がテーブル席に座ると、西さんはすぐ近くのカウンター席へ。そこから取材の様子を眺めるような体勢で着席。
マッシーさんに紹介された経緯を伝えていたこともあって、三浦さんとの対話はスムーズに始まり、「ナックルを本当に使っていたピッチャー」の話を持ち出すとすぐに応じてくれました。
「当時、本当に使ってたって、僕のほかにおらんね。聞いたことない。阪神のバッキーが投げとったけど、あれは、握り方が僕のとは違ったと思う」
元投手の方の取材では、たいてい途中からボールを手渡すことになるんですが、このときは主題が変化球だけに、言い終わらないうちに右手に。すると三浦さんは、右手の人さし指、中指、薬指の各第一関節にボールを押し付けました。
「普通、ナックルいうたらこうするんです。僕のはヤツは、縫い目に爪をかけるんです」
大きな掌に包まれたボール。第二関節までが異様なほどに長い3本の指の先が、縫い目に立てられています。
「これでブワーッとほうるんです。手を、最後、伸ばさんと、このまま引っ掛けたら、爪が全部はげてまう。僕もはいだことあります」
当時のチーム内、このナックルを「ぜひ教えてくれ」と頼んできた投手がいて、それがエースの杉浦だったそうです。杉浦はアンダースローなので手を伸ばしにくく、それだけに「爪をはがしやすい」と三浦さんは心配したのですが、案の定、試合で初めてナックルを投げた途端に爪をはいでしまい……。
「それで杉浦さん、しばらく休んだんですよ。だから、僕のはちょっと人には真似できひん」
投げることがケガと隣り合わせの、まさに魔球――。おのずと原点が知りたくなり、最初にナックルを投げたとき、何かを参考にしたり、誰かに教わったりしたことはあったのか尋ねてみると、意外な答えが返ってきました。
「最初から、自分で覚えたんです。こうしたらいいやろう、ああしたらいいやろうってね」
そのとき、カウンターで見守る西さんが「それはいつのこと?」と聞くと、三浦さんはすぐにこう答えたのです。
「小学5〜6年のときやな」
西さんと僕らはそろって「ええっ?」と声を上げていました。
(次回につづく)