一流の先発投手がマウンドに登り、まず考えるのは完全試合。そして、ノーヒットノーランだろう。甲子園の歴史でノーヒットノーランは春12回、夏23回の合計35回達成されている。
直近で達成されたのは2004年のセンバツだ。東北高のダルビッシュ有(レンジャーズ)が熊本工高戦で136球を投げ2四球の完投勝利。ノーヒットノーランを達成した(失策1)。なお、この試合のスコアは2対0。熊本工高の先発は岩見優輝(元広島)だった。
また、史上2度目となる決勝戦におけるノーヒットノーランを達成したのが横浜高の松坂大輔(ソフトバンク)だ。
「松坂フィーバー」に沸いた1998年、松坂の甲子園春夏連覇までの道のりはドラマの連続だった。夏の準々決勝ではPL学園高と延長17回の死闘を演じ、準決勝の明徳義塾高戦では6点差を逆転サヨナラ勝利。決勝は松坂がノーヒットノーランで締めた。まさに、この年の高校野球は「松坂大輔の年」だった。
ほかのノーヒットノーランを達成した投手も見てみよう。1980年以降の達成者を振り返ると、後にプロに進んだ選手が多い。やはり大舞台で偉業をやってのける選手には技術に加え、プロで通用するハートの強さも備わっているのだろう。
■1980年以降のノーヒットノーラン達成者
センバツ大会
2004年:ダルビッシュ有(東北高→日本ハム)
1994年:中野真博(金沢高)※
1991年:和田友貴彦(大阪桐蔭高)
選手権大会
1998年:松坂大輔(横浜高→西武)
1998年:杉内俊哉(鹿児島実高→三菱重工長崎→ダイエー)
1987年;芝草宇宙(帝京高→日本ハム)
1982年:新谷博(佐賀商高→駒沢大→日本生命→西武)
1981年:工藤公康(名古屋電気高→西武)
(「※」は完全試合、球団名はドラフトで指名された球団)
実に夏の甲子園でノーヒットノーランを達成した5人はすべてプロ野球で活躍。ノーヒットノーラン達成は「プロで活躍」への約束手形といえるかもしれない。
甲子園での1試合最多奪三振記録は22個(延長戦を含まず)。27個のアウトのうち22個を三振で奪う驚異的な数字をマークしたのは、2012年夏に桐光学園の2年生エースとして出場した松井裕樹(楽天)だ。
1回戦の今治西高戦。松井は初回から3つのアウトを全て三振で奪うと5回までノーヒットピッチング。ここまでで11三振を奪う。6回に四球、安打で無死一、三塁のピンチを招くも、ここからが圧巻だった。
このピンチを1死からの2者連続三振で切り抜けると、9回2死まで10者連続奪三振の甲子園記録を達成。次の打者に安打を浴びたものの、最後も三振で仕留め、甲子園記録の1試合22奪三振を打ち立てた。
決め球のスライダーを駆使して三振の山を築いた高校時代の松井。プロに入ってからは、チェンジアップとストレートのコンビネーションに投球スタイルをチェンジしている。この柔軟さもプロで飛躍した秘訣かもしれない。
ちなみに、延長も含めた最多奪三振記録は徳島商高の板東英二(元中日)が持っている。1958年夏の準々決勝・魚津高戦。伝説の試合に数えられる延長18回の死闘は0対0で引き分け。この試合で坂東は25奪三振をマークし、これが最多奪記録となっている。
1大会における最多投球イニングの記録を持っているのは早稲田実の斎藤佑樹(日本ハム)だ。
2006年夏、センバツに続き2季連続で甲子園の土を踏んだ斎藤は、初戦の鶴崎工高戦で先発。8回を1失点に抑え、9回表が終わって13対1と大差をつけていたため、9回裏はマウンドを譲り右翼の守備へついた。しかし、2番手投手が2四球と乱調。1死も取れずに降板し、再び斎藤がマウンドに。結果として9回を投げきった。
その後は斎藤が一人で投げ抜き決勝戦へ進出。この時点で投球回数は45イニングを数えた。駒大苫小牧高との決勝戦は延長15回(引き分け)を投げ抜き、再試合の9回もマウンドを守り続けた。この決勝2試合・24イニングを加え、通算投球回数は69イニングに。1大会における最多投球回数を記録した。
この69イニングで斎藤は948球を投げており、こちらも大会史上最多の投球数となっている。2013年のセンバツで済美高の安樂智大(楽天)が772球を投げ、「投球過多問題」を起こしたが、斎藤は夏の炎天下で176球も多く投じていた。そのタフネスぶりには感服するばかりだ。
早稲田大を経て日本ハムに入団した後は大きな実績を残していないが、2006年夏の姿は紛れもなく「甲子園のレジェンド」だった。
文=勝田聡(かつたさとし)