比叡山高から日本体育大を経て、母校に赴任。コーチ就任1年目に野球部内で不祥事が発生。2011年9月に、前任監督の後を受けて、母校再建のための指導を託された。 春は1回戦負けも、守備を鍛えて、大本命の近江高を破り、16年ぶりに夏の滋賀大会を制した。挨拶や掃除など、部員には野球以外の生活面も細かく指導。見事にチームを立て直した。選手の自主性を重んじた“考えさせる”野球が身上。